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"I am"ー尊厳ある社会の実現に向けてー

この世界とは何なのか、人間とは何なのか、自分とは何なのか。認識技術によって開かれる未来文明

なぜ日本人は宗教に抵抗をもつのかー日本人が負った大きな傷ー

Noh Jesu

 

Noh Jesuの語る内容はとても本質的で深いく、普通は宗教や哲学・思想の分野が取り扱う世界です。

 

それは現在の日本教育やテレビ番組では取り上げられないような内容であり、西洋諸国では”神”と呼んだり、数学や物理学の世界では"最終理論"と呼んだりし、東洋諸国では仏教では"空”、道教では”道"などと呼ぶ世界です。多くの歴史の偉人たちはその世界を追求し、そこの価値観に基づき行動しています。

 

しかし日本社会ではそういった内容にとても抵抗感を持ちやすい習慣があります。その方面の会話はどこか"タブー”のようになっています。だから現在の日本人の精神性には根がなく、とても薄っぺらい”エコノミックアニマル”と呼ばれていた時代もありました。

 

なぜなら日本以外の国では逆に無宗教者は信用されず、企業の面接でも落とされてします可能性が高くなるのです。ではなぜ、日本以外の国では当たり前のように取り扱われている内容が日本では抵抗を呼ぶのでしょうか?その要因として考えられるいくつかのことを取り上げたいと思います。

 

第二次世界大戦のトラウマ

まず第一に考えられることは"第二次世界大戦で経験した歴史的敗北”があると考えられます。

 

第二次世界大戦では日本は天皇を中心にした神道によって国全体が燃え上がり、西洋諸国と戦いました。しかしその結果、原爆を二つ落とされ、GHQの政策によって無意識深く"自分たちは悪いことをしたんだ”という思い込みを刻まれ、人類歴史上でも他に類を見ないほどの敗北を経験し、二度と欧米に歯向かわないように教育されました。

 

それ以来日本は何かに熱くなること、何か一つの考えにのめりこむことに対して異常なほどの抵抗感を持つようになります。そしてさらに人と違うことをする人に対しても異常に反応する文化が促進されるようになります。

 

 

オウム真理教が日本社会に与えた影響

 

この事件が日本に与えた影響はとても大きいでしょう。そんな中でこんな記事を見つけました。この記事はとても本質をついたものになっているのでお時間ある方はぜひ一読して欲しいのですが、僕のほうで一部抜粋させていただきたいと思います。

 

www.huffingtonpost.jp

 

オウムが作った日本のメディアの原型とは。

思いだしてほしいのですが、IS(イスラム国)による邦人拉致事件が起きたとき、ISに対しての新たな視点や交渉の提案は、敵を利する行為として激しく批判されました。あの原型はオウム時代に作られています。オウムに対して世間一般とは違う視点を提示した学者や知識人の多くは、オウムを擁護するのかと激しくバッシングされました。その帰結として、日本のアカデミズムはオウムについては極度に委縮しました。研究対象とすべきではないとの雰囲気です。

 

問題の本質を検証しない日本社会への失望

例えば20年を迎える今年、東大と京大と一橋と早稲田と慶応が共同してオウムのシンポジウムをやるなんてありえない。宗教は危険だとの意識ばかりが前景化されてしまい、アンタッチャブルな領域に置いてしまった。もちろんメディアは相変わらずオウムやその後発団体の危険性を煽るばかりで、本質を検証する意識などほとんどない。ならば日本にいても失望するばかりだろうと考えました。

 

カルトとは、宗教とは。

主催者は日本学の研究者が主体でしたが、シンポジウムには宗教学の専門家といった人がたくさん来ましたね。印象に残っているのは、一人の学生が手をあげて「こういったカルトと私達はどうやって共存できるのか」と質問したとき、僕の隣に座っていた宗教学者が「カルトという言葉を使っちゃいけない。それを使った瞬間にステレオタイプ化が始まっている」と指摘したんです。他の研究者や教授たちも強く同意していました。イギリスも今、ISの問題があります。彼らにとってもオウムと日本社会への検証は、ケーススタディーとして必要なことなんです。でも、カルトという言葉は、特に研究者であるならば、絶対に使うべきではないとの論旨です。

 

カルトは反社会的で危険な宗教であるとの意味です。ならばイスラムはカルトなのか。あるいはキリスト教にカルト的要素はないのか。そんな断言は誰にもできない。宗教とはそもそもが反社会的で危険な概念です。世俗の価値観に従属するだけなら、それは宗教ではない。ところがカルトは宗教を浅いレベルで二分してしまう。だから彼らはレッテル貼りを拒否します。同様に、テロという言葉も彼らは使わない。「その言葉を使った瞬間に暴力が一色になってしまう」と説明されました。とにかく安易なステレオタイプに対しては、徹底的に拒絶する。その姿勢には共感します。

 

この風潮によって日本人はより本質的な思想への抵抗感が増していったのです。だから宗教団体やそういった類のものに関しては、そのもの自体の本質も見ることができずに、すべてを同一視し、条件反射で拒否反応を示してしまうのです。

 

 

⑶自分の選択と思考に自信を持てない日本人ー周囲に判断を委ねる日本人ー

 

上記の二つが日本人に与えた影響も大きいですが、何より大きいことは"自信感の喪失"と”思考力の低下”にあると思います。

 

本の学校教育では”思考力を育てる教育”はほとんどなく、詰め込み式の暗記教育ばかりです。先生が言ったことをそのまま鵜呑みにし、言うとおりに行動し、そのまま暗記できた人が優秀で、評価されます。

 

この状態では自分で考える力、判断する力は育たず、常に誰かに最も重要な判断を委ねてしまい、自分が行うのは、判断が下された後の実行のみになります。これが日本人の大きな特徴であります。

 

日本人という個人がこの状態で、さらにメディアが上記二つが要因となり”宗教=危険”と煽り続けたらどうなるでしょうか?日本人は自分以外に判断を委ねてしまっている状態なので、自ら判断はせず”みんなが悪いと言っているからきっと悪いんだろう”と判断し、その後の行動に移ります。

 

そこでもし”いやもしかしたら危険じゃないかもしれない”という考えを持てたとしても、そもそも日本人は教育の中で”自信が持てない”ようになってしまっているので、自分の考えに自信を持てず、やはりみんなとは違う行動がとれなくなってしまいます。

 

この状態があるので、日本人はやはり宗教などに対して抵抗を持ってしまうでしょう。

 

 まとめてみて気づいたことー希望のない日本の未来ー

 

上記3つをまとめていて、とても悲しくなってしまいました。なぜならこのままでは日本は世界に打ち勝つことはできないことが見えてしまったからです。

 

西洋諸国の強みはまさにその精神深くに刻まれたキリスト教の精神であり、いまの日本人はその精神性に打ち勝つものを持っていない、逆にそれを持つことを拒否すらしているのです。昔の日本人は神道、仏教、儒教などを生活に取り入れていたため、とても強かったです。中国、ロシア、イギリスにすら勝ってしまうほどに。

 

しかし僕はもう一度昔と同じことを繰り返すために、神道などを復活させることは違うと思っています。なぜならそれによって敗北しましたし、それによって逆に大きな傷も負ってしまったからです。

 

では今の日本には何が必要なのでしょうか?

 

いま日本に必要なものー独立した意思決定と選択ー

 

それは西洋の強みである宗教、東洋の良さが生きた思想哲学、今の社会の中心軸である数学・物理学、これらすべての限界を補い、全く新しい価値観を提示していくことであると思います。逆にその価値観がなければ日本はもう停滞していくだけですし、さらに言えば全世界も滅びゆく可能性がとても高くなります。

 

だからこそ今の日本人は過去のトラウマを乗り越え、新しい価値観、新しいチャレンジに関して興味を示し、自らの思考によってそれが本物であるかどうかを判断する力が必要不可欠であると思います。

 

そんななかで僕が感じた可能性はNoh Jesuが提示しているNoh's Wayであり、認識技術でした。ぜひみなさんも彼の示しているビジョンを自らの思考によって判断し、選択してみてください!