20代からの"而立(じりつ)"のすゝめ

様々な人に出会い、様々な本を読み、実践してきたことを元に、色々な角度で表現いていこうと思います。

相手とどう出会うのかー「関係性」を中心とした人類歴史ー

相手とどうで会うのか。

 

皆さんは相手とどう出会っていますか?あんまり意識してる人って少ないのかな?ちなみにぼくは認識技術に出会うまで全く意識してなかったですね。出会ってから、「相手とどう付き合うのか」を考えていた感じです。

 

でも一番大事なのって、「出会う時にどんな認識で出会うのか」「相手をどんな存在として認識するのか」であって、「相手をこんな存在として認識するから」「こんな関係性を築く」という流れが始まるんですよね。だからやっぱり「出会い」が一番大事。

 

赤ちゃんを「無限の可能性」としてみるのか、「ひ弱な存在」としてみるのか。老人を「無限の可能性」としてみるのか、「哀れな存在」としてみるのか。若者を「無限の可能性」としてみるのか、「世間知らず」としてみるのか。

 

言うのは簡単ですけど、結構難しいことですよね?

 

なぜかってこれは結局「どんな自分として出会うのか」に起因するんですよね。どんな基準点を持って、どんな認識をで相手と出会うのか。どんな認識を設定するのか。どんな基準点を設定するのか。それが重要になってきます。

 

でもこれってかなり難しいことで、なぜかって人間の基準点はだいたい「0-6才」で「80%」ほど決まると言われていて、「20才」ではだいたい「100%」出来上がってしまうそうです。

 

ということは、「相手とどうで会うのか」というのは、だいたいどの人も「0-6才」で決まってしまう、しかも「自分で決められる」わけではなく、「環境によって決められてしまう」状態ですね 。

 

だから「相手とどんな関係を築くのか」「相手とどう出会うのか」「どんな認識・基準点を持つのか」は変化させるのが相当困難なパートなんですね。ぼくは認識技術があったから、変化させることができたけど、他の人はどうしてるんでしょうか?ちょっと色々お聞きしたいです。

 

人間の弱点は「一度知ってしまったことから自由になれないこと」にあります。そして人間は一人として「同じ基準点」を持った人はいません。なので人と人が関係性を構築する時は、何かしらの問題が発生します。それが「摩擦・衝突構造」になったり「支配構造」になってしまったりと。

 

人間は「関係性を構築する」ことが苦手です。人間は「相手」を理解するのが苦手です。そして「自分」を理解することも苦手です。これが「仕組み」ですね。

 

だからいつまでたっても関係性による問題が終わることはなく、現代人は多大なストレスとプレッシャーにさらされています。そして国家間宗教観の争いも終わることもなく、富裕層貧困層の格差も広まるばかりです。

 

人間は社会的動物です。しかしその人間が関係性を築くことが苦手なのです。なかなか滑稽ですよね。

 

人類はよりよい関係性を築こうと努力してきまいた。しかし、人間の関係性における進歩は0といっても過言ではないと思います。すこし寂しい話ですね。科学技術によって、人間はとても大きな進化を遂げることができました。しかし、関係性においては全く進歩がないのです。

 

そして人たちは何をどのようにすれば関係性を進歩させたらいいのか解明できていませんし、そこに手を出そうともしていません。いままで人類歴史で「関係性」を向上させようとした何かってあるんですかね?

 

すいません、ぼくが無知なので今の所思いつきません。キリスト教の「愛」など、宗教とかはすこしそこに起因してるんですかね。あとは自然信仰とか?、イデオロギーもすこしそっち方向なんですかね?

 

歴史を振り返れば、日本はおろらく世界1「関係性」に成功した国なんじゃないかな、とも思ったりします。ただとても感覚的ですし、根拠もそんなにないです。あー、ここら辺も深めていかないとならないですね。

 

「関係性」を中心に人類の歴史を整理してみたいと思った。どんな風になるんだろう。かなり面白いコンテンツができる気がする。関係性にチャレンジし続けた人類。そしていまだに、関係性で悩み続けている人類。

 

ちょっと今度整理してみます!