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"I am"ー認識が世界を変えるー

この世界とは何なのか、人間とは何なのか、自分とは何なのか。認識技術によって開かれる未来文明

「機械に仕事を奪われないためには好きなことを仕事にすること」の論理に対しての考察

「機械に仕事を奪われないためには好きなことを仕事にすること」

 

この論理が僕は前までさっぱり分からなかったけど、少し理解できたのでメモ。

 

なんかこの論理は大前提に「イノベーションを起こし続けることが重要」「人間がするべきじゃない仕事は機械がすべき」みたいなものがあるみたいで。

 

「好きなこと=努力が楽しい」「好きじゃないこと=努力が苦痛」なので、「好きなことは、努力することも楽しい。それは努力を努力と感じない状態になれる」ので、そのジャンルにおいて「好きなこと」の方が「よりイノベーションを起こしやするなる」と考えている。

 

そしてそれを前提として、いま地球上で人間が行っている仕事において「人間がしなくてもいいだろ?」「誰もこの仕事やりたくてやってないよね」みたいな仕事があって、「それは機械にやってもらえばいいよね?」的な考えを出発とした時に、今までの価値観通り「嫌なことでもお金のために。」みたいな考え方でやってたら、「イノベーションも起こせないし」「そもそも機械がその仕事奪うよね」みたいな発想になる。

 

そんな感じなのかなぁ、と少し整理。

 

それで付け加えれば、「個人の好きなこと」というのは厳密に言えば「人類歴史上で誰1人同じ人はいない」ので、その価値観通りに、真っ直ぐにイノベーションを起こしておけば、確かにブルーオーシャンであることは理論上その通りだと思う。

まとめると「好きなこと」というのは、より個人の主体性、創意性、尊厳性、自営生、自発性を発揮させることができるので、「好きじゃないこと」よりは「機械に仕事を奪われにくい」ことは少し納得できた。

 

まあこれを書いて思ったのは、確かに機械の加速度的な発展が起こる現代社会において、機械に雇用を奪われないための方法論が探求されてる中で、1つの代案として「好きなことを仕事にする」が提示される背景は理解出来たけど、同時にこの代案が全体を包括したものであるとはなかなか言い難いことも理解できた。

なぜなら、そもそも「人工知能が人間の知能を遥かに超えた状態まで開発が進む」と考えた時に、その上でも「好きなことなら人口知能よりも人間の方が仕事の生産性・効率性が高い」と言える根拠が僕にはまだ理解が出来てないから。

 

やはり僕の結論としては、「人間に対する規定」がなされない限りは、これからの時代の人類の方向性への答えは導き出されないと感じた。