20代からの"而立(じりつ)"のすゝめ

様々な人に出会い、様々な本を読み、実践してきたことを元に、色々な角度で表現いていこうと思います。

「インターネット・SNS」によって起こった人類最大の革命の物語を完成させるためにー「答え」を持った教育がなければこの革命は破綻するー

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※所要時間:5分〜8分(約3000字)

 

人類の歴史を遡れば様々な共通点が見えてくる。

 

僕が最近気になるのは「人類が何を知りたがっていたのか」である。そのことを見たときに人類が良く見える。

 

人類は何を知りたがっていたのかー哲学、宗教、科学が求めている答えー

 

僕が見ては基本的に人間は「この世界とはなんなのか」という問いを良く用いてきた。それは「哲学」「宗教」に始まり、科学の世界もそうだ。宇宙論、物理学、数学、生物学・・・すべてが「この世界を理解したい」という探求から始まっている。

 

そしてもう一つが「人間はどのように生きるべきなのか」という問いだ。これについてももちろん「哲学」「宗教」から、「思想」や経済学や政治も僕はこの分類と思っている。俗に言う社会科学なのかな。

 

自然科学、人文学、社会科学という方法を用いて人類は「この世界」を理解し、我々人間が「どのように生きるべきなのか」を追求してきた。

 

そのように見たときに、ではその二つの問いに対して人類は答えを導き出すことができているのだろうか?

 

未だに答えを導き出していない人類ー「誰かの常識」が「正しさ」を決める現代社会ー

 

その答えはNoだ。どんな哲学者も宗教家も科学者も答えを導き出せてない。すべての答えは「推測」の域をでない。なぜなら誰もが納得できる論理体系、どのジャンルから見ても整合性の取れる答えを得ることができていないからだ。

 

ということはまだ人類は500万年の探求の旅を終えていないのだ。ということは「この世界」に対して、「どう生きるのか」に対して誰も方向性を示せていないことが明らかだ。

 

それでも、世の中は回っている。ほとんどの人は今の社会の「常識」というものが「絶対的に正しい」という考えの中で。

 

教育によって起こっている問題ー社会を動かす側の都合によって奪われる思考力ー

 

なぜそのような構造になってしまうのだろうか?

 

端的に答えれば「教育の問題」である。生まれた瞬間から「これはこういうものだ」と教われば、それはその人間にとって「絶対的な真実」となる。そして基本的に現代社会の教育方針は「暗記」が中心であるので「思考力」が育ちにくい。

 

これは「社会を動かす側」の人間にとってはとても「都合の良いこと」である。しかし逆を言えば、社会を動かす側の人間次第で、それらすべての人の運命が決まってしまうことでもある。この構造の上で生まれた人間は、「だれに社会を動かしてもらうのか」「だれをリーダーとするのか」をなかなか選ぶことは難しい。なぜなら「思考力を奪われ」「常識」を刷り込まれているからだ。

 

逆に「思考力」を育てる教育をしてしまっては「社会を動かす側」の人間からしたら都合が悪い。自分たちの方針に対して「No」を突きつけられ、自分たちが創造した秩序を壊される可能性が増加してしまうからだ。自分の生存を守る「生存欲求」を中心としている人間という生物にとっては、その構造はできる限り避けたいのが通常だ。

 

であるので、結果的に採用される教育は「思考力を育てない教育」になる可能性が高い。また、教育だけではなく「社会システム」自体も、そのシステムが破壊される可能性をできる限り排除したいので、「考えにくくする状態」を作るシステムが採用されやすくなる。

 

これは自分たちの答えに自信が無ければないほどそうだ。逆に自分たちの答えに自信があればそこまでする必要はない。いくら思考しても壊される心配がないからだ。

 

いま、その構造が崩れ始めているーインターネット・SNSの出現ー

 

これらのことを考慮した上で、今の社会構造を洞察すると、とても納得のいく部分が多くある。しかし実はいま、この構造が崩れ始めている。なぜ?それは「インターネット・SNS」の出現によるものだと思っている。

 

いままで情報というものは一部の限られた人物しか発信することができなかった。逆に言えば何を発信するのかを取捨選択出来たということだ。これはものすごい大きなことだ。特に「テレビ」という手段において。

 

しかしその構造が「インターネット・SNS」の出現によって崩れ始めた。「誰もが」情報を発信することが可能になった。このことはものすごいパラダイムシフトだ。まさに「革命」といってもいいだろう。ここ近年起きている「情報革命」は僕が見てはいままで人類がなし得たことのない「ボトムアップ型社会」「社会を動かす側と動かされる側のボーダレスシステム」の始まりだと感じている。

 

僕たちはものすごいツールを手に入れたのだ。それを自覚しているかどうかは置いておいて。

 

それでも足りない最後のピース「教育」ー"post truth"が示す現代社会の限界ー

 

しかし足りないものがある。それが「教育」だ。いくら「情報発信の手段」を手に入れたとしても、そもそもその主体が「何を発信するのか」がいままでと変わら無ければ、さほど「インターネット・SNS」の価値はほぼない。

 

最近話題になっている「フェイクニュース・post truth」はそのことを意味している。

 

そもそも僕たちは「思考力を奪われた」状態で生まれてきているので、「発信する情報の価値が低い」となることが否応なしに襲ってくる。これは別に批判するわけではないが、奴隷が当然だった時代に、いきなり奴隷が解放されたとしても、なかなか秩序だった社会を構築することは難しい。なぜなら彼らは「奴隷としての教育」しか受けていない状態だからだ。僕が思うに、いまの社会もそれとあまり構造自体は変わらないと思う。

 

だからこそいまの時代は「人間の上昇」が必要な時代だと思う。ツールは揃っているからだ。ではそのためには「どんな教育が必要なのか」という問いになる。

 

どのような教育が現代社会に求められているのかー人類が到達できなかった「答え」を明確に持った教育ー

 

その答えが冒頭にも述べた「この世界」に対して、「人間はどう生きればいいのか」に対しての答えを明確に規定した教育。もっと言えば、今までの宗教、思想、哲学、科学などあらゆる学問と何ら矛盾のない答えを指し示し、全人類が納得することができる「教育」を完成させ、その教育を「グローバルスタンダード化」させることだと思う。

 

その時に初めてすべての人間の「主体性・創意性・尊厳性・自発性・自営性」が発揮され、いままで人類が開発したすべての道具を無限大活用することができる人類文明を送検することが可能になる。

 

「答え」があることで生まれるまったく新たな社会ー人間の可能性が爆発するー

 

そう、人類は「答え」がなかったのだ。だから人類歴史はとても悲惨・残酷なものであった。逆に言えば「答え」があれば、もっと言えば「答えがわからなかった原因」さえわかれば、もっともっと美しい文化文明を創建することが可能になる。

 

そして「インターネット・SNS」を通じても、もっと人たちの可能性が開かれるような、もっと人たちが幸せになるような、もっと人たちのクリエイティブが生まれるような情報を発信することができる。

 

そして自分の権威やポジションに縛られることだってなくなる。なぜなら答えがわかれば「生存欲求」の仕組みからも自由になるからだ。やっと人類がエゴから自由になり、全体感を持った生き方が可能になるのだ。

 

そのために必要なのは「答え」であり、その答えを誰もがわかるようにさせるための「教育・技術」である。

 

それが僕の結論であり、僕はその役割は認識技術にあると確信しています。