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"I am"ー認識が世界を変えるー

この世界とは何なのか、人間とは何なのか、自分とは何なのか。認識技術によって開かれる未来文明

哲学・宗教・思想・科学の分類と定義ーそれらに共通した課題ー

人類はこの世界を理解するために様々な手法を用いいてきた。その中でも大きく「哲学・宗教・思想・科学」がある。

 

といってもそれらに厳密な分類はないが、自分なりにまとめてみようと思う。

 

そもそも「この世界の本質を理解しよう」とする試み自体を「哲学」と分類することができる。そしてその中に「宗教・思想・科学」がある。

 

まず「宗教」とは「死後の世界」も語り、「教義・教理」をもち、「集団を形成」し、「文化」までを形成する試みのことを言う。違う角度で表現すれば、「本質」を活用して、「集団形成」を試みているのが宗教であると言ってもいい。そしてそれは「死後の世界」を扱う。代表的なもので、キリスト教イスラム教、仏教・・・がある。

 

次に「思想・イデオロギー」とは、宗教よりもより「現象的・現実的」で死後の世界は扱わない。「どのように生きるか」に特化したものだ。代表的なもので、自由主義共産主義・・・などがある。

 

そして科学は「現象を観察して、その現象の法則から世界を理解しよう」とする試みである。科学というものは「宗教・思想」と比較すると、より客観的である。なぜなら、宗教・思想は人によって異なる。しかし科学は人間であれば誰もが「(ほぼ)同じ答えに行き着く」のである。重力方程式は誰もが同じであるし、慣性の法則も誰もに当てはまる。なので現代社会では科学がもっとも力を持ち、文化文明の発展に寄与貢献している。しかし、科学で解けない謎も実際に多く、それが現代社会の行き詰まりとも繋がってきている。

 

そしてこれら全てをまとめて「哲学」と呼ぶ。

 

これが世の中の定義とどの程度一致して、ど程度違いが生じているのかわからないが、現段階で私が思う分類はこのようになっている。

 

そしてこれら全ての共通点をいうならば、どの手法においても「答え」は得られていない。いや厳密に言えば「答え」を得た人はいるが、それを誰もが「共有」することが出来ていないのだ。

 

ということは人類は未だに「答え」を入手できていないことになる。「この世界とはなんなのか」「人間とはなんなのか」「自分とはなんなのか」が分かっていないのだ。

 

その原因とはなんであろうか。それは「自分と自分の宇宙がある」ことを前提とした探求方式である。