20代のうちに知るべきこと、やるべきこと、希望すべきこと

様々な人に出会い、様々な本を読み、実践してきたことを元に、色々な角度で表現いていこうと思います。

「自分が大嫌い」だった僕が、「誰もに誇りを持てる自分」を手に入れるまでー両親のことから、認識技術のことまでー

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※所要時間:8分〜12分(約4800字)

 

僕は自分が大嫌いだった。

心の底から。

こんなにも醜くて、卑怯で、ずる賢い人間はいないと思ってた。

 

僕の両親ー「冨沢亮太」と向き合ってきれた両親ー

 

僕の両親はとても偉大な人たちだった。あらゆるものから僕と姉を守り、「冨沢亮太」という人間と向き合ってくれた。だから僕も「冨沢亮太」と向き合わざるを得なかった。

 

両親の口癖はいつも決まっていた。

「あなたの人生なんだから、あなたが決めなさい」

 

高校にも進学しなくてもいい、と言われていた。勉強だってしなくていいと、言われていた。

 

「あなたがやりたいことをやりなさい。」

これが両親の口癖だ。いつだってそう。

 

ぼくが中学生の時、少し荒れた先輩と仲良くしていて、担任の先生に「ああいう先輩と付き合うのはやめて、◯◯くんみたいな人と付き合いなさい。」と言われたことがある。そのことを両親に相談した時もそう。

 

「いいのよ、そんなこと気にしなくて。あなたが付き合いたいと思う人と付き合いなさい。」と一言。

 

ぼくが「友人を虐めている」と先生や友人の父兄みんなに言われていた時もそう。両親は「本当に虐めたの?」と。そしてぼくの一つ一つの説明を、誰も聞いてくれなかった説明を、しっかりと受け止めてくれた。

 

そして「そうなんだね。こういうことは誤解されやすいから気をつけないとね」と一言。

 

ぼくは当時部活の部長をやっていたこともあり、両親も部活ないや学校で肩身の狭い思いをしたと思う。でもそんなこと、そんな雰囲気も一言も言わずに、ただぼくと向き合ってくれた。その両親の姿勢に、当時のぼくはどれだけ救われたかわからない。

 

勉強ができる、スポーツができる、そんなこと、両親は僕たち兄弟を判断する材料に一つもしなかった。ただ「自分が満足する人生を歩んで欲しい」という思いだけ。その姿勢にぼくは本当に救われた。

 

僕が蓄積していたものー「罪悪感」と「大嫌いな僕」ー

 

でもそれと同時にぼくが蓄積したのは強烈な「罪悪感」だった。

 

こんなにもまっすぐに僕と向き合ってくれて、こんなにも僕を信頼してくれている両親に対して、当の本人はそんな「誠実さ」のかけらもない人間だった。

 

嘘もつく、ズルもする、人の悪口も言う、見て見ぬ振りだってする、人も傷つける。

 

僕はそんな自分が許せなかった。僕が蓄積したのは「ごめんなさい」の一言だった。こんな人間で「ごめんなさい」だった。このことを両親に伝えることも嫌だった。だから僕は自分を隠した。こんなに醜い自分を隠した。でも、そんな自分も嫌いだった。でもどうすることもできなかった。

 

誠実に生きられない自分が、弱い自分が大嫌いだった。両親みたいに強い人間になりたかった。誰にも恥じることのない、誰もに誇ることができる生き方がしたかった。

 

生き方探しーきっとどこかに「答え」があるはずだー

 

だから僕はたくさん探した。自分に誠実に生きるための生き方を。

 

たくさんお金を稼いでる人、たくさんの人に人気がある人、たくさんの事業を手掛けてる人、自分の人生を楽しく生きてる人、人と異なることをしてる人、普通に生きてる人、いわゆる社会貢献やボランティア活動をしてる人・・・

 

でも僕にはどれもしっくりこなかった。正直どれも魅力的ではなかった。僕が求めた「誰にも恥じない、誰もに誇れる生き方」をしている人はいなかった。

 

実はその時にNoh Jesuに一度会っている。しかし当時の僕には彼の言っていることがさっぱりわからず、「他の人とは違う人」くらいの印象しか持っていなかった。この出会いが後のぼくの人生に大きな影響を与えることになるとも知らずに。

 

どこにもない答えー自分自身で手に入れなければならないのかー

 

だから僕は自分で探すことにした。大学を休学して海外へ。短い期間であったが世界がよく見えた。今まで知らなかったことをたくさん知った。今の社会のたくさんの問題を知った。このままでは、僕たちの生きる社会自体が危ないことも分かった

 

でも解決策が見えなかった。多くの人はそれらの問題を見て見ぬ振りをして、解決を諦めていた。でもぼくはそれらの問題を放っておくことができなかった。ぼくはもう「見て見ぬ振り」はしたくなかった。これ以上自分の心を誤魔化して生きることは限界だった。

 

だからぼくは探した。解決策を。社会制度が問題なのかとも思った。お金が問題なのかとも思った。ライフスタイルが問題なのかとも思った。でもどれも解決策とはなり得なかった。

 

再会した「Noh Jesu」ー明瞭で、明確な「診断」と「処方」ー

 

そんな時に再び出会ったのが「Noh Jesu」だった。以前彼と引き合わせてくれた知人が再度僕を誘ってくれた。

 

びっくりした。当時の僕では理解しきれなかった彼の話がスッと入ってきた。そして僕は確信した。「この人は答えを持っている」と。

 

彼は言った。重要なのは「診断」と「処方」だと。そして人類は今まで「診断」を間違い続けてきた、と。だから人類は「幸せになっていない」「争いが終わっていない」と。

 

ではその「診断」、違う言葉で言えば「何が問題であるのか」という問いに対する答えはなんなのか。それを彼は「観点の問題」であると整理していた。この「観点の問題」を解決できない限り、人類は幸せになれない、と。

 

ではその「観点の問題」とは何なのか。それは人間なら誰もが持っている「5感覚脳」を基準として生きることだと。そして、その「5感覚脳」を基準点として生きている限りは、人間は幸せを得ることは出来ないし、分かり合うことも出来ない、争いをやめることも出来ない、と。

 

そしてその旧基準点(5感覚脳)を、新基準点に移動させることこそが現代社会に最も必要なことであり、あらゆる問題を一掃する変化である、と。それはかのアインシュタインが「問題が発生した同じ次元では、問題は解決しない」と言ったことと同じことである、と。そして、その基準点革命が起こった時に、全く新しい人類文明が誕生する、と。"Win-Win-AllWin"の社会を構築することができる、と。

 

認識技術との出会いーここに答えがあるかもしれないー

 

当時の僕にとって、革命的な話だった。こんなに明瞭に、明確に、シンプルに、全体を網羅した話は聞いたことがなかった。多くの人がいまの社会に問題意識は投げている。代案も投げている。しかし僕は、それらが至極部分的な話であることにとても違和感を感じていた。しかし彼の話は当時の僕が考えうる範囲をはるかに超え、すべてを網羅した話であった。

 

「ここに答えがあるかもしれない」

 

当時の僕の無意識がそう反応した。そして実際に彼と彼の仲間が研究開発した「認識技術」を学ばせてもらった。そしてその「認識技術」というものは、「Noh Jesu」という人物は僕の想像をはるかに超えていた。というよりも、僕が当時観ていた世界はとても狭いものだったと表現したほうがいいかもしれない。

 

たった二つを理解するだけで世界が変わる。自分が変わる。ー「観点の問題」と「イメージ言語」に対する理解ー

 

認識技術はとてもシンプルな技術だった。理解すべきことはたった二つである。それが先ほど述べた「観点の問題」と、彼と彼の仲間が独自に開発した「イメージ言語」という道具・言語だ。たったこの二つを理解するだけで、世界が変わる。そして何より自分が変わる。

 

少し具体例を挙げれば、当時天動説を信じてた人が、地動説を理解するために必要であったことは、「なぜ人たちが天動説を信じているのか、それによって起きている問題(=原因)」と、「天文学(=地動説の根拠)」であったことと似たようなものである。

 

「観点の問題」とは、「なぜ私たちの人類文明が、あなたの人生がこのようになっているのか、それによって起きている問題(=原因)」に対する理解であり、「イメージ言語」は「本来人間が歩むべき生き方、社会秩序に対する根拠(=代案)」に対する理解である。

 

この二つを明確に理解した時に世界が、自分が変わる。

 

「あぁ、だから自分は苦しんでいたのか」

「あぁ、だから人間は苦しんできたのか」

「あぁ、だから人間は争い続けてきたのか」

 

その時にすべてが見える。「世界の根源」から、宇宙自然、歴史文明、現代社会とつながった今ここの自分が。それらすべてを俯瞰して観えた状態の自分が。そのスッキリ歓喜の自分が。その時にもう、大嫌いな自分は消え去っていた。

 

全てとつながった自分の生きる道ー僕が生まれた「日本」という国ー

 

そしてその思い込みの呪縛から解き放たれた時に、いまの時代が進むべき道が見える。そしてその道とは僕が生まれた「日本」という国の役割とつながった。

 

僕は「日本」という国が好きではなかった。政治家は嘘をつく。常識を押し付けてくる。自分の国のことしか考えてない。強い国に従うだけ。僕はそんな日本の姿勢が嫌いだった。

 

でもNoh Jesuが見る日本は全く違った。彼は今の日本は「本来の日本の姿ではない」と言う。そして本来の「日本の姿」を僕に観せた。それを観た僕は、涙が止まらなかった。自分のDNA深くに眠っていた何かが呼応した。

 

そして彼は言った。「日本はアヒルじゃないんだ!!!」と。僕は震えた。何かが繋がった。とても小さな自分がいなくなった。宇宙すべてと、人類歴史と、そして日本と、今ここの自分が繋がった時、僕は自分の自分の命の使い方を決めた。

 

「人間本来の可能性を爆発させることができる社会を創ろう」と。そこにもう、大嫌いは自分はいなくなっていた。

 

それからの僕ー「誰にも恥じない、誰もに誇れる生き方」が出来ている僕ー

 

そこから約4年。まだまだ未熟な点も多いし、思ったようにいかないことも多いが、着実にそのビジョンに向かって進むことが出来ていると思う。2016.5.31に認識技術も完成し、あとは認識技術を爆発的に世界に広げるシステムである「尊厳塾システム」が完成させるだけだ。その両翼が完成すれば、あとは広げるだけ。

 

誰もが人工知能には出来ない領域を開発できる人間となり、争いを起こすことのない人間となり、生老病死を超えた人間となり、人類全体が一つの生命体のような文化文明を構築することができる時まで。

 

簡略化したところもあるが、これが僕が今ここに至るまでの大まかな流れだ。そして僕は今確実に「誰にも恥ない、誰もに誇れる生き方」をしている。「自分に誠実に」生きている。こんなに幸せなことはない。本当に。

 

あなたた感じる「違和感」を大事に握り締めてほしいーそれが「本当のあなた」だからー

 

だからこそ僕はこのことを多くの方に共有したいと思っている。もしあなたが日常の中ですこしでも「違和感」を感じているのであれば、それを無下にしないでほしい。その「違和感」を大事にしてほしい。

 

おそらく社会はそれを無下にする。だからこそ「あなたが」それを大事にしてほしい。そしてそれをしっかり握り締めてほしい。それは「あなたそのもの」だから。それをなくしてしまった時に、あなたはあなたの尊厳を失ってしまう。だからそれはやめてほしい。諦めないでほしい。なぜなら「必ず分かる時が来るから」だ。もう時代がすぐそこまで来ている。もう少しだ。「あなた」が「あなた」を「手にする」まで。

 

そしてもしあなたが「認識技術」に興味を持ったのであれば、是非活用してほしいと思う。きっとあなたの人生の一助になると思う。それだけのものであると自信を持って薦められる。きっとあなたの違和感が明確になるはずだ。味のある方は是非下記の記事も読んでみてほしい。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

rtomizawa.hateblo.jp

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