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"I am"ー尊厳ある社会の実現に向けてー

この世界とは何なのか、人間とは何なのか、自分とは何なのか。認識技術によって開かれる未来文明

「命をかける」という感覚※備忘録として

※備忘録
 
最近ようやっとわかってきた感覚がある。
 
それが「命を掛ける」という感覚だ。
 
常々考えていたのだが、今までの歴史上の人物、また僕の周りにも数人、本気で「自分の命を掛けて、何かを成し遂げよう」としている人がいる。
 
もちろん口先で言っている人は結構いるが、実際にそれを実践している人は少ない。
 
彼らを見て思っていたのは「なぜそこまでして、そんな事が出来るのだろうか」という事だ。
 
人間はやはり自分が可愛い。結論的に言えば条件反射で自分を守る事が根底の生存欲求にある。そう考えれば、そのような生き方は出来る限り選びたくないし、「どうすれば自分の生存欲求を満たせるのか」が究極的人間の本能だと思う。
 
そんな中で彼らはなぜそのような生き方が選べたのだろうか。それはどんな感覚なのだろうか。自己犠牲の精神なのだろうか。それとももっと他に何かあるのだろうか。
 
自分自身も「命を掛けた生き方」がしたいとは思う。しかしそれは同時にある意味「自分の一番大事な事を捨てる事」と同じだ。
 
どうすればそんな事が可能なのだろうか。そんな風に思っていた。
 
そんな疑問が最近少しづつ溶けてきた。というか頭での理解から、感覚の理解にまで変わってきた。
 
結論的に言えば「自分の命以上に大事な事」が見つかった時にその感覚は得られるということ。違う言葉で言えば、「生死を超える」「死の恐怖を超える」事でその感覚は得られる。
 
今はうまく表現できないが、「生きる」という事が「この体の自分を満足させる」という感覚ではなく、「伝言ゲーム」や「リレー」のように感じられる。
 
前の世代からどのような「伝言・バトン」を受け取り、次世代にどのような「伝言・バトン」を渡すのか。その事だけに興味が向くようになる。
 
違う表現をすれば、自分の命が「道具」になり、「どれだけ最高の使い方をするのか」になるのだ。
 
その感覚になった時に、歴史文明の意志に、宇宙自然の意志に、宇宙自然すらも成り立たせる世界の根源の意志に猛烈な興味がわく。それら全てが凝縮された「現代」というものに猛烈な興味がわく。
 
そして、それら全てを引っ張って「次世代に何を残すべきか」という結論を導き出したくなる。
 
「この命を使って、何を残すのか」
 
その事に興味がわく。その事に集中がいく。その事を悩むようになる。そしてその結論が出た時に、「自分」の人生がやっと始まる。
 
全ての出会いが、全ての時間が愛おしくなる。相手の心に、今の時代に、メッセージを送りたくなる。
 
そしてこの感覚はやはり「実践」しなければ得られないだろう。頭だけでは到達できないだろうと思う。なぜなら僕たちは細胞レベル、DNAレベルで「生存欲求」が刻まれている。
 
僕もまだまだ諸先輩方には及ばないが、とても大事な感覚だと思ったので備忘録として残しておこうと思う。
 
「どのように死ぬのか」
「何を残して死ぬのか」
「次世代に何を渡すのか」
 
今ここ「死」を選択する事で、本当の「生」が選択できる。それが本当の人生であると思う。「生」に縛られていては結局人間は自由になれないのだ。
 
常に生死を越えた自分で、今ここを選択していくことにしよう。