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冨沢亮太の人生をザーッと15分で振り返る。

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※所要時間:約13分(約6600字)

冨沢亮太(とみざわりょうた)/社会コンサルタント・マインドームコーチ

大学三年生まで極めて一般的な人生を歩むも、友人からの衝撃の一言をキッカケに大学を休学し、単身ジャマイカへ。3ヶ月間の滞在の中で、人生観が一変し「社会全体の為に自分には何ができるだろうか」と模索する中で認識技術と出会う。

 

認識技術との出会いを通して「認識構造の問題を解決すること」こそが現代社会において急務であることを痛感し、自分自身が認識技術を使う側として活動する事を決意。

 

現在は「社会コンサルタント/マインドームコーチ」として、数百人規模のイベントの企画・運営やスピーカー・ファシリテーなどをしながら、多くの人の人生相談を受け持つ。

モットーは「認識が変われば、世界が変わる」

 

 

〜小学生

茨城県で冨沢家の末っ子長男として生まれました。

小学生の時は、勉強もスポーツもそこそこ出来ましたし、クラブ長や委員長なども勤めていた為、一般的に言う目立つ子だったと思います。

 

ただ、家庭環境が少し複雑だったので、自分の内面を表現したり、相手の内面を感じたりするのが苦手あったこともあり、中学年くらいから少しずつ周囲の人間関係についていけなくなりました。

 このころの将来の夢はプロ野球選手でした!

 

〜高校

野球と勉強漬けの毎日!

中学生の時はちゃんと休日はありましたけど、高校の野球部は茨城県でも屈指の練習量を誇り、休みは年に数回、帰宅は24時近いこともよくありました。

 

僕が入学した東洋大学付属牛久高校は、僕の入部から3年連続茨城県大会でベスト4の強豪校と言うこともあり、かなりポテンシャルの高い人たちが集まっており、能力的に中学校まではある程度通用しましたが、高校では付いていくのがやっとの状態になりました・・・。

 

1年間の怪我人生活で、将来の道を模索

 

そんな中無理がたたったのか、高校二年生の春に足首を手術し、1年間の怪我人生活・・・。

 

幸いなことに最後の夏の大会でベンチ入りメンバーには選ばれましたが、怪我人をしていた時期に色々考えさせられ、野球で生きていく人生ではない道を歩むことを決意しました。

 

生物学との出会いと将来の道

僕は勉強はぼちぼちできた方で、高校入試(推薦)なんかは意外と学年一番だったりしました。とはいえ、その勉強を何か将来に生かしたいとかは特にありませんでした。

 

そんな中、高校2-3年の担任の先生が生物を担当している方で、その先生の影響もあり生物に興味を持ち始めます。何事も興味を持つとのめり込んでしまう方で、高校三年の夏には生物の偏差値だけ80を超えてました。笑

 そしてちょうどその頃IPS細胞が話題になったこともあって、生物学の可能性を感じ、将来の道として研究者というものに興味を持ち出しました。

 

猛勉強の末・・・あっさり合格?

ということで僕は野球しかしていなかった2年半を挽回するために猛勉強します。今まで野球に費やした時間とエネルギーを全て勉強に投入!

 

センター試験まで半年しかない!ということでかなり頑張りましたが、僕が高校での評定がよかったこともあり、先生の勧めで推薦入学の試験を受けるとあっさり合格。

 僕は晴れて東京薬科大学生命科学を学ぶ道に進みました。

 

〜大学

理想と現実のギャップに落胆した入学当初

「大学ではどんな楽しいことが学べるんだろう?」と意気揚々と授業に参加していましたが、少しづつある異変に気付きます。

 

「授業、つまらなくないか?・・・」と。

 

 これは誤解を防ぐために共有しておきますが、多分東京薬科大学生命科学のジャンルにおいてしっかり授業をされてます。問題だったのは当時の僕が、大学の授業に期待していたことと、現実のギャップについていけず「つまらない」という結論に至ったんだと思います。

 そして早速、僕の頭の中から研究者になる夢が消えていきます。笑

 

全てのエネルギーを友達との時間へ

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そして僕は勉強することにエネルギーを投じる力を失い、学友と遊びまわることに全エネルギーを投じるようになります。

 僕は高校までは友達と遊ぶということをほとんどして来ませんでしたから、この時期は本当に夢のように楽しかったです。春はお花見、夏は海、冬はスノボー、週末は大好きな彼女と・・・The大学生活!って感じでしたね!

 

学内最大の飲みサー代表にまでなってました!

みんなとワイワイしている内に、代表にまでなっちゃいました!笑

多分僕が3年生になった時には、300人くらいいたんじゃないかなぁ・・・。特に何をしてたわけでもなく、とりあえずはしゃいでました!

 

アルバイトにのめり込む!

たまたまネットで見つけた飲食店のアルバイトが、楽しくて楽しくて仕方なかったです!リニューアルオープンスタッフだったんですが、そこの人たちが本当に素敵な人たちばかりで、僕はここでたくさんの社会勉強をさせてもらいました。

 

「お客様を楽しませることを楽しんでほしい」

 

そんなお店のコンセプトによって、オープン当初はまばらだったお客さんも、今は週末は予約でいっぱいだそうです!嬉しい!!

www.seed-r.com

 

大学三年生で人生初の国際協力団体への加入!

たまたま学内の掲示板で見つけた「国際協力団体」のチラシ。そしてたまたまサークルの後輩がその国際協力団体に加入しているということで、大学三年生にも関わらず、早速その団体の新入生歓迎会に参加!

 その場で団体の代表と意気投合し、一緒に活動することに!

 

他大学の学生たちとの交流を通じて、僕の想像以上に多くの学生が、たくさんの活動をしているということを知ることが出来ました。

 「僕たちができることはこんなに沢山あるのか」と、野球と勉強と飲み会しか知らなかった僕の世界観が一気に広がった時期でもあります。

 

貧困国ラオスへの訪問で、自分の非力さを痛感

国際協力団体のスタディーツアーでラオスの山奥の村へ!

僕が思っていた以上に彼らは豊かな暮らしをしていましたが(物質ではなく心)、資本主義に飲み込まれて多分現状を維持していくことは難しいんだろうなぁ、と漠然と感じました。

 

あと強烈に感じたことは、ボランティア団体が出来ることの限界でした。

 

僕が所属していた団体はラオスに小学校をいくつか建てていたんですが、小学校を建てるだけでは変わらないことが沢山あり過ぎる現状にびっくりしました。本当の変化を生み出していくことは本当に大変なんだなぁ、と自分の非力さ、無力さを痛烈に感じました。

 

悩み多き就職活動へ突入。

就活はかなり頑張りましたね!大学3年の夏休みはベンチャー企業で毎日のようにインターンさせてもらって、その後は沢山の企業の方とお話をさせてもらったりと、将来の方向性を模索していました。

 

大企業がいいのか、ベンチャー企業がいいのか、青年海外協力隊のような形がいいのか・・・

  

知れば知るほど将来にたくさんの可能性を感じると同時に、僕の中には「早く将来の方向性を決めないとならない」という焦りも同時にありました。就職先を決めるということは、高校や大学を選ぶ時以上に、その先の選択肢が狭まると感じていたからです。

 僕はなかなか「将来の選択肢の可能性」を決められずにいました。

 

〜休学

友人からの一言で我に返る。

そんな中ある友人といつも通り家の近くにある鳥貴族で飲んでました。 

 その時期の僕は自分の人生相談を多くの人にしてましたから、彼にもそんな話をつらつらしていると凄い一言が飛んできました。

 

 

「冨沢さん、何焦ってんすか?笑」

 

 

グッさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

グサグサグサグサグサグサグサ!!!!!!!!

もうびっくり仰天の一言でした!!!

 

今まではこういう系統の相談をすると大体

 「よく考えてるね。」 

「こうがいんじゃない?」

「この人の話を聞くといいよ。」

などの答えが返ってきましたが、今の方向性をひっくり返す言葉をもらったのは初めてでした!

 

しかもその友人というのが、僕の大学時代の友人の中でも相当カス野郎で(笑)、当たり前のように何年も留年し、ガールズバーの女の子にアプローチし、酔っ払うとふざけて踊りだすような友人だったので、それが更に衝撃度を増させました。笑

 その時の僕は強がって「そ、そんなことねぇし!」と返答しましたが、無意識はめっちゃ図星を突かれてびっくりしてました。

 

新たな選択肢「休学」を選ぶまでの葛藤。

その一言で出てきた選択肢は「休学」でした。

とは言え僕の大学の知り合いの中で休学してる人なんて見たことなかったですし、そもそもうちの大学が休学できるのかどうかも分かりませんでした。

 

しかも休学するとなると「親はどう思うんだろう」とか、「大学の友達はどう思うんだろう」とか、結構悩みました。というのも、僕は当時は当時なりにそれなりに順調に将来への階段を登ってきてると感じていて、これを休学という手段で自ら壊してしまうのはどうなんだろうか、と思いました。

 

このまま同級生たちと同じように、いい企業に入って、いい給料もらって、いい家庭を持って、いい暮らしをして・・・そんな道がもしかしたらこの休学という選択肢によって壊れるんじゃないか・・・そんな妄想まで膨らみました。

 

まあ今思えば考え過ぎかも知れませんが、当時はそれくらい休学という選択肢の先に何があるのか分かりませんでした。周りに自分のロールモデルがない事をするっていうのはやっぱり勇気がいる事なんですねぇ。

 

休学の先をイメージして、休学を選択

とは言え時間は過ぎ、休学するなら早く決めないとならなかったです。そして僕はこんな問いを自分に投げかけます。

 

「このまま休学しないで歩む60年と、休学して歩む60年はどちらが楽しそう?」

 

その問いに対する答えは120%休学して歩む60年でした。そして僕は親とも相談し、休学届けをだすことにしたのです。

 

知識と経験を得るために。

そして僕は自分なりに分析した結果、将来の道を決めるために自分に足りないのは「知識と経験だ!」と感じ、その2つを身につけ、1年後には自信を持った選択肢を選べる自分になろうと決意します。

 

とは言え、何をどうしたいいのかわからないので、多分一番手っ取り早い方法としては「海外に行くこと」と「働くこと」だろうと結論づけます。

 

そして僕はジャマイカに行くことにして、そのビザを取るのに3ヶ月くらいかかったので、その3ヶ月で片っ端から連絡が取れそうな社長みたいな人たちとと会って、自分の現状や将来の方向性の話などを聞かせてもらってました。

 かなり刺激的な毎日でしたね!

 

単身ジャマイカへ。

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ジャマイカには、以下の方達に手伝ってもらって行きました。ホームステイ先とジャマイカでのインターンやボランティア先を手配してくれるんです。まあ僕は結構自由に過ごさせてもらいましたが。

「実践型」海外ボランティア・インターンシップ|Projects Abroad

 

ここでの経験は中々語り尽くせませんが、かなり世界観はひっくり返させられました。大きな変化としては、以下ですかね!

 

・社会や世界に対する見方が変わった

→西洋が中心となり生み出した資本主義システムが何をしてるのか、の全体像を少し洞察できるようになった。

・人生観が変わった

→僕が就職活動の時に見ていた将来の方向性は、ほんの一部でしかなく、人生の方向性はもっと無限に広がっている。

・菜食主義になった

→色々事情がありますが、この頃から数ヶ月間お肉を全く口にしませんでした。笑

 

持続可能な社会づくりに向けて、農業をしてみたり、新しいライフスタイルを模索したり。

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ジャマイカという国を通じて、現代社会のそもそもの生き方に問題意識を感じ、「持続可能な社会を作るにはどうしたらいいか」という考えの元、色々と模索を始めます。

 

この頃の問題意識は「環境問題」と「貧富の格差」で、その解決策として考えたのは「お金に依存しない社会秩序」でした。ただ中々上手くいかないんですよねぇ。図書館に行ってたくさん勉強しましたが、やっぱりしっくりくる方向性は見当たらないんです。

 

この頃の風貌は未だにみんなにネタにされます。笑

 

〜認識技術 

認識技術という選択肢

実は認識技術はジャマイカに行く前から出会ってましたが、その頃は多くの選択肢の中の一つでしかありませんでした。

 

ただ追求していけば追求して行くほど、「もしかしたら認識技術が伝えていることが、僕の問題意識を解決するんじゃないか」と感じ始めます。そんな時に1日間のセミナーのお誘いがあり、受講することにします。

 

認識構造の問題を暴いた教育技術

その直感はやはり当たっていて、そのセミナーでは認識技術の導入部分のみの共有でしたが、認識技術が持っている問題意識は「そもそもあらゆる問題を生み出してしまう根本原因に"人間の認識構造の問題"がある」という風に伝えていました。

 

その中身は、大学で学んだ脳科学の話や生物学の話、また資本主義によって生まれる環境問題や貧富の格差の問題とも通じ、今までてんでバラバラだった色々な情報や知識が、「人間の認識構造の問題」という一点に集約されてしまいました。

 その当時は本当に感動していたらしく、セミナーの終わりには涙も流していました。

 

そして僕はしっかり認識技術を学ぶため、認識技術の創始者のNoh Jesu氏が直接指導する長期プログラムに参加することにしました。

 

自分と自分の宇宙が消えるという経験を通して得た全体像

プログラムの内容は物理・数学、脳科学、宗教、哲学、歴史などあらゆるジャンルと繋げて認識技術がどういうった技術なのか、それらとはどのような差別性があるのか、なぜ今の時代にこの技術が必要なのか、などあらゆる角度からの内容でした。

 

ただ学校の授業とは違いとてもシンプルでわかりやすく、自分と繋がり、一週間がまるで1日のように感じるほど楽しい時間でした。

 

そして僕は認識技術を通して「自分と自分の宇宙が消える」という経験をし、世界の根源が洞察可能になり、この世界が成り立つ全体像を得ることが出来ました。詳細は以下記事を参考にしてください。

 

rtomizawa.hateblo.jp

 


 

全体像を得ることで起きた自分の変化

それからというもの、この世界に対する見方や感じ方が全く変わってしまいました。

 

「生きる」ということがどういう事なのか

「死ぬ」ということがどういう事なのか

「自分」とは何なのか

「人間」とは何なのか

「現実」とは何なのか

「自分(人間)」は何処から来て、何処に行くのか 

 

これらに対する答えがどんどん自分と繋がり、あんなに自分に自信のなかった僕が自信感を取り戻したり、あんなに人間不信だった僕が人を信じられるようになったり、あんなに逃げてばかりだった僕がどんどんチャレンジができるようになったり、あんなに情報の整理整頓の仕方が分からなかった僕がバンバン人に物事を教えるようになったり・・・・

 

認識技術を得る事で、変化できたことは計り知れないです。特にぜっっっったいに変われないと思っていた領域までどんどん変化させることが出来て、自分でも自分にびっくりです。

 

そんな自分自身の変化もあって、認識技術の可能性、また全体像を得ることの意味や価値を確信していきます。

 

全体像を得た僕が目指すところ

 

そんな風に全体像を得た僕はどんどんと自分の進むべき道を定めていきます。

 

何をするにしても先ずは根本原因を解決しないことには何も始まらないし、進まない。結局は同じことを繰り返し、堂々巡りをするだけ。

 

であれば僕が得たこの認識技術を使って、一人でも多くの人の根本問題を解決し、一人でも多くの人が全体像を理解した人生を歩めるようにしよう。

 

そして社会全体の変化は、一人一人の変化からでしか絶対に変わらないから、僕は一人一人の変化を通じて社会全体を変化させていこう。

 

 そんな想いを胸に抱き、社会全体を変化させる社会コンサルタントとして、一人一人を変化させるマインドームコーチとして活動して行くことを決めました。

 

そして現在に至る

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そして現在はNPO法人Peace Business Life Schoolの理事として、多くの人と社会ムーブメントを起こしながら、一人一人と向き合うマインドームコーチとしてセッションをさせてもらいながら活動しています。

 

詳しい活動実績や、活動内容に関してはまた別で記事を書かせて頂きますね。