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本音で生きるとはどういうことなのか。④

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私の考えの中で

検証しなければならないこと。

 

それは2つある。

 

一つは

自分がそのような社会不適合者であり、

みんなに嫌われ続ける人生になったとして

それは本当に避けるべきような人生なのだろうか

ということ。

 

もう一つは

本当に自分が本音で生きた場合

そのような人生になりうるのか

ということ。

 

まず一つ目だが

「それは分からない」

ということが結論だ。

 

というかそもそも

人に嫌われることは

本当にそんなに避けるべき事柄なのだろうか。

 

いま好いてくれる人たちから

嫌われること、迷惑がられることは

そんなにも避けるべき事柄なのだろうか。

 

人は良くも悪くも

嫌いになったり好きになったりする。

しかも至極自分勝手な都合で、だ。

 

恐らく極悪な犯罪者でも

良き理解者に恵まれることもあるだろうし

良識な善人でも

理解者なく孤独に死んでいくこともある。

 

そう考えると

自分の本音で思ったように生きた結果

人に好かれるか、嫌われるのかが決まるような気もしてくる。

 

そう思うと

自分の性格は生まれ持ったものであり

自分が選んでその性格になった人はいない。

 

もちろん多少はあるかもしれないが

初期段階で決まるあなたの性格の根源は

あなたが偶然によって決められた、あなたの両親によって決まる。

 

であれば

自分はその与えられた性格を

生きるしかないのではないだろうか。

 

それがいくら全人類に嫌われる性格だったとしても

それがいくら孤独に終わる性格だったとしても

それがいくら苦しみ続ける性格だったとしても

その性格を全うするしかないのではないだろうか。

 

そう思うと

本音で生きないことは

すこし損をしているような気もする。

 

ヒマワリの種を持っているのに

コスモスを咲かそうとしたり

ゾウなのに

ネズミのフリをしているようなものかもしれない。

 

そう思うと

社会不適合者には

社会不適合者の幸せが、生き方があるのかも知れないと

思えてくる。

 

 

では、もう一つの

検証すべき事項はどうだろうか。

 

本当に自分が本音で生きた場合、

本当にそのような人生になりうるのか。

 

これも結論で言えば

「分からない」となる。

 

それはそうだ。

未来はやってみなければ誰にもわからない。

 

そこにあるのは確率だけであり

決定事項は私たちにはわからない。

 

ただ可能性が高いことは確かだ。

 

こういう時に思うことは

成功哲学なんかより

よっぽど失敗哲学が必要だと感じる。

 

私のような人間には成功の法則などは必要なく

よっぽど失敗の法則のほうが必要だ。

 

人生において成功など0.00001%でしかなく

その成功は99.99999%の失敗の上に成り立っている。

 

だからよっぽど失敗哲学のほうが

人類にとって有意義だ。

 

 

こうやって書いてきたが、

結局は人生はやってみなければ分からない

という結論になる。

 

しかしその

やってみなければ分からない人生を生きる上で

自分の中の決めつけが自分の選択肢を狭くしてしまっている

ということは事実だ。

 

一度失敗してしまったら

もう取り返しがつかないのではないか。

 

一度嫌われてしまったら

もう取り返しがつかないのではないか。

 

一度迷惑がられてしまったら

もう取り返しがつかないのではないか。

 

こういう自分で生きないと

嫌われ続けるのではないか。

 

こういう自分で生きないと

のけものにされ続けるのではないか。

 

こういう自分で生きないと

攻撃され続けるのではないか。

 

そういった自分の中の決めつけが

自分の人生を狭めてしまう。

 

面倒くさい

やりたくない

キモい

嫌い

ぶん殴りたい

殺したい

死んでしまいたい

何もやる気しない

それをやる意味がわからない

無愛想

感謝がない

自己中

自分のことしか考えてない

人の気持ちがわからない

人の痛みがわからない

弱虫

逃げ腰

迷惑

不快

・・・・・・・

 

こんな風に

巷に溢れたネガティブとされる言葉によって

とても傷つき、とても苦しむ人達がたくさんいる。

 

でもよく考えれば

それの何が問題なのだろうか。

 

そう思ってしまう自分が問題なのだとして

そういう人間はどうすればよいというのだろうか。