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親鸞聖人│歎異抄「悪人こそが救われる」は何を訴えているのか。

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方丈記徒然草に並ぶ

日本三大古典の一つとされ

仏教書最大のベストセラーと言われる歎異抄(たんにしょう)。

 

 

例えばこの歎異抄について

『声に出して読みたい日本語』シリーズで有名な、

齋藤孝さんは次のように語っています。

この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことができなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては非常に大きな損失であったでしょう。 

 

また、日本三大哲学者と言われる

西田幾多郎三木清、田邊元はこのように語っています。

「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」 

西田幾多郎

 

万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる。

三木清

 

親鸞聖人は私の哲学において、学ぶべき師であり、指導者である。

(田邊元)

 

なぜ歎異抄

ここまで多くの人を魅了するのでしょうか。

 

 

 

歎異抄の中でも

最も有名な一説は

「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」

と言われています。

 

これは、「悪人正機」を表した言葉と言われ

 簡単に言えば「悪人こそが救われる」という意味です。

 

 

一般常識的からしたら

「善人ではなく、悪人が救われる」

という内容は、とても信じがたい表現に感じます。

 

しかしこれらの表現は

この世界の本質深くを洞察された 

親鸞聖人だからこそ出来る表現だと言われています。

 

 

 

歎異抄の原文は少し難しいですが

この書は読めば読むほど、

親鸞聖人の深さと広さを感じ

 

日本がどれだけ

素晴らしい文化文明を持っているのかを

確認させてくれる書になります。

 

 

 

ではこの歎異抄

「悪人こそが救われる」という表現は

私達に何を訴えているのでしょうか。

 

親鸞聖人は私達に

何を理解してほしくて

このような表現をしたのでしょうか。

 

ここでいう「悪人」とは

どういう意味なのでしょうか。

 

逆に言えば、親鸞聖人がいう「善人」とは

どういう意味なんでしょうか。

 

ここに親鸞聖人の素晴らしさがあります。

私はこれを知ったときに鳥肌が立ちました。

 

 

 

ここで親鸞聖人が言っている悪人とは

「自分が悪人であることを理解している人」

であり

 

善人は

「自分が悪人であると思っていない人」

です。

 

故に悪人こそが救われるとは

「自分が悪人であることを理解している人こそが救われる」

という意味になるのです。

 

 

 

これはつまり仏教で表現すれば、

六道輪廻や十悪といったような

人間の本質深い部分に隠れている

 

できれば見たくないような

できれば避けたいような

人間の欲求や欲望が自分の中にあり

 

それを包み隠さず受け入れ

自分がそんな部分を持っている悪人である

と理解できたときに

 

人は初めて救われる。

 

本当の幸福を得られる

悟りを得られる

答えを得られる

 

ということになります。

 

 

 

これを親鸞聖人は

「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」

と表現しています。

 

これば「絶対の幸福」とも

言われており

 

「一度手に入れたら

二度と捨てることのできない利益(幸福)」

を手に入れられる

ということになります。

 

 

この表現に私は深く感銘を受け

人はどうしても

自分の良いところばかりを見ようとして

 

本当の奥深くにある

自分の醜い部分や嫌いな部分に

蓋をしてしまいがちです。

 

しかし親鸞聖人は

「人間とはそもそもそういうものだ」

と規定し

 

それを受け入れなければ

真の幸福は得られない

と明確に言い切りました。

 

これは現代の人間観に対しても

大きな命題を投げかけていると思っていて

「あの人ってこうよね」「あの人ってああいう所あるよね」

 

というように人に指をさすより前に

まずは自分の中にもそういうところがあることを

自覚しましょう

 

相手の中にあるあなたが醜いと思う部分は

あなたにもありますよ

 

という究極の相互理解を

促しているように感じます。

 

そしてすべての人が

それを理解したときに

人は責め合うことを卒業し

 

心の平和が訪れる

のではないかと思います。

 

それくらい

歎異抄で表現されている世界は

恐ろしいほどの可能性を秘めていると感じました。

 

 

このように親鸞聖人が

ものすごく深く広くこの世界を洞察されていたからこそ

今の日本社会でも浄土真宗は深く根付いているのだと思います。

 

 

しかし実際に現代社会で

この教えが根付いているとは

いい切れません。

 

それは時代的な流れや

トレンドもあるでしょうから

それ自体が悪いことではないと思っています。

 

大事なことは、こういった大事な教えを

自分たちの日常に活かすために

どうしたら良いのか考えることかと思います。

 

 

 

そもそもまず現代人からしたら

「そもそも救われるってどういうことやねん」

的に思ったりしませんか?

 

現代の一般的な幸せと言ったら

お金、安定した仕事、家族、友人、旅行・・・・

そういうような物質的な豊かさであり

 

あまり精神的な豊かさを

求める感覚はないかと思います。

 

しかしその物質的な豊かさを求める

そもそもの根本を見てみれば

自分が豊かさ・幸せを「感じたい」から

 

そういった物質的な豊かさを

求めているかと思います。

 

故に、いくら社会が

物質的な豊かさを求めたとしても

人間の本質は何も変わりません。

 

 

 

それを参考に私たちの

これからの生き方を考えると

 

数百年前は

現代と比べられないほど

物質的な貧困にありました。

 

そこから産業革命が起こり

人類は以前では考えられないほどの

物質的な豊かさを享受することができました。

 

しかしその代償として

私達は精神性・人間の内面世界を切り捨て

鬱・自殺・殺人・・・etcなど

 

いくら物質的に豊かさになったとしても

本当の豊かさ・幸福を手に入れられないことを知りました。

 

 

 

故にこれからの時代は

精神的豊かさだけでなく

物質的豊かさだけでなく

その両方を満足させる

 

真の豊かさを手に入れる生き方が

求められているのではないかと思います。

 

だから今こそ

親鸞聖人が訴えたような

この世界の本質に目を傾け

 

聖人たちが洞察した世界に 

耳を傾ける時が来ているのではないかと

思います。

 

 

 

そんな物質的な豊かさと

精神的な豊かさを融合させる技術が

nTechであるのではないかと私は思っています。

 

ぜひ私はそんな時代を

現代に生きる多くの人たちと

作っていきたいと思います。