※注:この記事は自分用のメモって感じで、結構長いです。
私があまり一般的ではない道を歩むようになった大きな理由は、社会に対する観方の違いからだったんじゃないかなと思います。
大学に入学するまでは極めて一般的な道を歩んで、当初の予定ではそのまま大企業に就職してたくさん給料をもらうか、研究職について医療や生物学の進化発展に貢献したいと思ってました。しかし結果的に私は、そういった道には進むことはありませんでした。
そのキッカケは大学二年生の初夏あたりだったと思います。小中高と野球と勉強漬けだった毎日から一点、大学生になってからはそれまでの鬱憤を晴らすかのように毎日友達と遊びまくってました。大学の授業をサボり、友達の家に入り浸り、ただひたすら毎日を楽しんでいました。
そしてそんなことを1年ほど続け、大学二年生に進級し、後輩もでき始めた頃にふっと思ったことがありました。それは「この生活をもう1年続けていきなり就職って言われても、どこにも就職できなくないか?」と言う事でした。簡単に言えば将来への不安です。
言っても今まで、高校に入るため、大学に入るためにはある程度準備してきましたし、それらに関しては何を準備したらいいのかはある程度把握していましたからそこまで不安になったことはありませんでした。しかしこと就職となると、何を準備したらいいのかもまったく想像つきませんでしたし、その準備にどれくらい時間がかかるのかもよくわかりませんでした。アルバイトくらいはしたことがあっても「就職する」「働く」ということが何なのかすらよくわからない状態でした。
そして大学二年生の秋頃から、それまでの遊び一辺倒の毎日から、アルバイトに明け暮れ、学外での活動に重きをおくようになり、他大学の人との交流や、これまで知らない世界を知るために国際支援というものに関わったり、社会人の方との交流を多くとったり、インターンシップに参加したりしました。それらを通して少しづつではありますが、「就職する」「働く」などに対するイメージを広げていきました。
そしてここら辺からです、私の方向性がゆらぎ始めたのは。
そもそも私は幼少期の頃から、拭えなかったある一つの疑問がありました。その疑問とは「私たちが生きているこの社会は、本当に良くなっているのだろうか」というものでした。
そもそも小さい頃のわたしはとても単純でのんきな子供であったと思います。その頃は社会に対してどちらかというと、物凄く肯定的な受け取り方をしていたと思います。
小学生の時にゲームボームが生まれ、スーパーファミコンが生まれ、パソコンが家に来て、携帯を持ち始めて…ですから言ってしまえば、社会はどんどん良くなって、進化して、便利になっていて、最高、くらいに思っていたと思います。
しかし私のその考えにひびが入るきっかけとなる3つの出来事がありました。それは、「近所のおじいさんの話」と「家の鍵の問題」と「テレビのニュース」でした。
近所のおじいさんの話とは簡単に言えば、私の家の近くに流れる川が、昔はきれいで、鮭もいて、泳げて、船も通ってたという話です。
家の鍵の問題とは、私の家は茨城の田舎なんですが、家を出るときもずっと鍵を〆てなかったんですが、小学生中学年?くらいから、「最近は物騒だから、鍵を閉めるようにしようね」となった話です。
「テレビのニュース」とは、物事が分かるようになってきた小学生中学年?くらいのときに、毎日みているテレビのニュースから、毎日のように異なる殺人や凶悪な事件の情報が流れているのを見ていた話です。
これら3つは当時、だいぶ衝撃で、
「え?今の社会って昔より悪くなってるってこと」
「え?私が知らないだけで、社会って結構怖いところなの?」
「え?でもみんな結構普通に生きてない?なんで?」
っていう感じでした。子供ながらに結構驚いた記憶があります。とはいえ周りにそんな反応をする人もなく、「まあそういうもんなのか」くらいに済ませて、深く考えることもありませんでした。
そこから私も中学、高校と進学し、そんな社会のことよりも、自分自身のことで忙しくなり、そこまで社会に目を向けることはありませんでした。
そしてそんなところで、話は大学2年生の秋ごろから始めった、「社会」や「働く」ということに対する模索でした。そこで私は、小さい頃の衝撃に似た驚きを再び感じ始めます。
それは「私が想像した以上に世界は問題にあふれていたこと」。そして更に驚いたことに「想像以上にみんなそれらの問題に関心がないこと」でした。特に2つ目に驚きました。
私の大学での専攻は生命科学だったので、その中で理解した環境問題だけでも、だいぶ進行しており、将来地球、結構やばいんじゃね?って感じてました。あとはそこに付随したごみ問題とか、森林伐採とか、エネルギー問題とか…それらの問題だけでも膨大にあるように感じました。
その他にも色々調べてみると、世界の貧困・飢餓・紛争の問題もそうですし、家庭内暴力、離婚、少子高齢化、いじめ、差別・偏見、若者の生きる意欲の低下、格差の問題…取り上げれば取り上げるほど、世界は私が想像していた以上に問題が溢れていました。
まーとは言え、問題が溢れていたとしても、解決さえすれば問題ないですし、人類自体が多くの問題を解決し続けてきた結果がいまの社会なので、それ自体にそこまでの不安がありませんでした。
しかし驚いたのはこの次の段階でした。それらの問題を理解した上で、「さーじゃあどの会社、どんな業界で働こうか」と調べていた結果、大きな違和感を感じました。
それは
「え?みんないま社会に溢れてる問題に関心ないの?」
「環境問題を解決する企業、ほとんどなくない?」
「貧困・飢餓・紛争を解決する企業、ほとんどなくない?」
「家庭内暴力を解決する企業、ほとんどなくない?」
ということでした。
今思えばわたしがあまりに無知だったのだと思いますが、いまの社会の中心企業の殆どがそこに関心がないこと、そして会話をする社会人の方々がそこに関心がないことに驚きました。
もちろんCSRとして取り組まれている企業はいくつもありましたが、それはあくまでも企業活動の中心ではなく、派生的なものでしかありません。そんな社会にあふれる問題を中心として取り組む企業が、就職活動をしようとしている私の触れる情報に殆どないことに驚きました。
そしてやっとこさ調べて、環境問題に取り組む企業としてはそこそこ有名なベンチャー企業でインターンをさせてもらって更に驚きました。だいぶ偉そうなことを言うかも知れませんが、当時の率直な感想としては「え?これだけしかやってないの?」でした。
それはつまり、私が理解した環境に関する問題全般からしたら、その企業が取り組んでいることは、乾いた広大な砂漠に、水を一滴垂らしているだけ、その程度の影響力しか持つことが出来ない行為に感じました。
もうそこからは調べに調べました。上記に並べたような問題に対して、どれだけの企業が、どんな取り組みをしようとしてるのか。そうしたらやっぱりそういった企業はほとんど見つかりませんでした。大規模にやっていても営利活動ではなく、寄付金や政府からのお金を元に活動している程度で、本当に取り組めていて、かつ大きな企業となっている例はとても少なかったです。
けっこうビビりました。というか結構焦りました。当時の私の感覚では、「いま社会にある問題の量に対して、解決する側の量、全然足りなくない?」「てか将来、これだいぶやばくない?」「なんでみんなそんなに無関心でいられるの?」という感じでした。
このままでは将来、これまで自分が受けてきた恩恵すら享受することが難しくなるように感じました。
そして問題の量に対して、解決の量が増えない原因は「ビジネス化する仕組みが出来ないこと」であり、さらにその原因は「それらに対する解決策を見いだせていないこと」だと感じました。
だからなんとか寄付金や、国からのお金で問題が悪化しないように食い止めて入るけど、それらの問題が生まれる原因に栓をすることが出来ないないから、どんどん問題が溢れてくる。
そしていまは資本主義であるからみんな自分が生きるために大事なことはまず何よりも「お金」。だから簡単にお金をもらうことが出来ないそれらの問題の解決への取り組みはメジャーではないんだ、と理解しました。それがだいたい、大学3年生の冬だったと思います。
そこから私は、既存の就職活動の流れと少しづつ異なり道を歩み始めました。
「では溢れるそれらの問題の中で、どこから手を付けるべきなのか」
「そもそもどの問題が取り組むべく優先順位1番の問題なのか 」
それらが次に私の中に湧いてきた疑問でした。これが本当に難しかった。これが次の大きな驚きに繋がりました。その驚きとは「私はあまりに何も知らない」ということでした。
上記の質問の答えを得るために私は、「そもそも社会とは何か?」「社会とはどうあるべきなのか?」「なぜ社会はこのような状態になっているのか?」を理解する必要が出てきました。しかし当時のわたしはそれらに対する回答を持ち合わせてはいませんでした。
なので必死にいろいろな人に聞いたり、いろいろ調べたりしてみたんですが、その領域を理解することは、想像以上に「難しい」ということが分かりました。そして時間はどんどんと過ぎ、大学4年生へと進級しなければならない時期に差し迫りました。
しかし私は「ほんとうにこのまま進級して、卒業を迎えていいのだろうか?」という疑問が生まれ始めました。
このまま進級すれば否応なしに、就職の話になる、卒業のために論文も書かないとならなくなる。でも現在の私は、本当にそんな現在地なのだろうか。その前にもっと知るべきことがあるんじゃないだろうか…そんな葛藤が続きました。
そして私は「このまま進むことはできない」と判断し、大学を1年休学することにしました。そしてその1年を「社会を理解するための1年としよう」と決めました。
とはいえ、当時の私は「どのようにすればそれらを理解することが出来るのか」の見立てがありませんでした。しいていえば「たくさん本を読んで、自分の知らない世界を知って、色々やってみる」くらいでした。でも1年位あればある程度整理できるだろうと思ってました。しかし、それが大きな誤りだったと気づくことは、そんなに時間がかかりませんでした。
図書館でたくさん本を借りて、いろいろな人に質問して、自分で整理してみて…それを繰り返して、次の驚きが来ました。
「え?社会を理解するの結構難しくない?」
「てか、思った以上に、その世界、整理されてなくない?」
ということでした。
「社会とはなにか?」
「どのように生まれたのか?」
「なぜ今のような状態になっているのか}
もちろんこの問いに、その人なりに答えている回答はありましたが、それらはあくまで1意見であって、それが誰もが納得できる答えか、といえばそれはNoでした。
そして「社会」というものを理解するには「人間とは?」という問いに答える必要も出てきて、さらにその問いに答えるには「自分とは?」という問にも答える飛鳥が出てきました。
もうその領域に進むとさらに答えは皆無で、宗教的な世界や、精神世界的な世界の抽象的て主観的に表現や整理が多いことがわかりました。しかしもしかしたら哲学などの世界では整理されていたのかも知れませんが、当時の私はそれらの難書を読み解くだけの力もなく、とても苦労しました。
「そうか、この世界を理解することは思った以上に簡単ではないのか」
休学して2ヶ月ほどでそのことを理解することが出来ました。
そしてそこから海外で生活してみて、いろいろな経験をして、さらに色々な人の話を聞いて…
「あー私が整理したいと思っていた世界と出会うのは、1年じゃ無理なのかも知れないなぁ…どうしよう…」
と思っていた時に出会ったのが、nTech創始者のNoh Jesuさんでした。色々は人の話を聞いていた延長で、たまたまチケットを頂くキッカケがあり、彼の講演感に参加したのですが、とてもびっくりしたことを覚えています。
そして話を聞けば聞くほど、こんなにもこの世界をシンプルに、客観的に、包括的に整理し、話している人を私は見たことがありませんでした。
そこで私は、「この人が整理してる世界を受け取ることが出来れば、私自身がこの世界の全体像を整理して、何をどこから手を付ければいいのか、判断することができそうだ」と思い、彼が体系化したnTechを学ぶようになりました。
そこからは学ばせてもらいながら、色々な経験を積ませてもらい、今に至り、nTechを取り入れて、全体像が整理された、いま。
「どこから、どのように手を付けるべきなのか?」
「何が優先順位1番で解決するべき問題なのか?」
そこに本格的に着手することが出来るようになりました。
・人と組織のイノベーション
・資本主義の限界を補う心(哲学)の産業化
・誰もが全体像を分かってチームプレーできる社会つくり
問題の量>>>>>>解決の量
ではなく
問題の量<<<<<<解決の量
となり、
誰もが安心して、自分の人生を謳歌することが出来る。そんな社会作りに向けて、現在は日々過ごしています。
久々に自分の人生を整理したくなり、書きました。すっごく長くなりましたが、もしここまでお付き合いいただいた方がありましたらありがとうございます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。