どこから変化を作る必要があるのか

ここまで、問題発見の重要性と問題を解決するためには問題を解決できる自分になることの重要性を共有してきましたが、では一体どこから変化を作っていく必要があるのでしょうか?

 

先の例に基づいて、コミュニケーションを車の運転に例えるならば、車を運転するためには、まず何から初めますでしょうか?

 

何よりも初めに教習所に通って、運転するための技術や交通ルールを学びますよね。そしてその後に実際に一般道で運転をするようになると思います。

 

もしそのような仕組み/決まりがなければどうなってしまうでしょうか?

 

各々独自の運転方法になり、交通ルールも共通認識されたものがないので、それぞれが思う交通ルールで一般道を車が走るようになります。そうしたらどうでしょうか?現在とは比べられないほど事故が多発し、統制がとれない状況になってしまうと思います。

 

「私が右折しようとしてるんだから、あなたは待つべきだ」

「いやいや、こっちが先に進もうとしてるんだから、そっちが待つべきでしょう」

 

など、自己流の基準/ルールに基づいた主張が多発すると思います。

 

これらに対して、現在の交通の仕組みを知っている我々からすれば「いやいやルール決めればいいじゃん」と思いますが、実際にその状況しかしらない状態であれば簡単に思いつくことではないと思います。

 

ここで私が共有したいのは、実は現在の私たち人類のコミュニケーション/人間関係が、これと全く同じ状況に置かれているということです。

 

現在の私たち人類には、全世界共通で整理された内容を持ち合わせていません。

「人間とは」

「生死とは」

「人生とは」

「人間関係とは」

「コミュニケーションとは」

…etc

 

ですので我々は、人と関係を作る時、コミュニケーションを取る時など、各々が自分の経験の上で作り上げてきた、独自の基準に基づいて意思決定を行います。

 

その結果、先の例に上げたように、各々が自己流の基準/ルールに基づいた主張を繰り返すことで、様々な意見の食い違い、摩擦、衝突などの問題が多発してしまっています。

 

つまりこれは、運転技術もなくルールも知らない車がしっかり技術を持ちルールを理解している人から暴走しているように見えるように、多くの人たちの意識空間が暴走してしまっている状態と言えます。

 

このような自分勝手な運転技術によって、毎日のように自分や相手を傷つけるなど、多様な問題が起きている現代において、早急に取り組むべきことは、まずこの意識空間の暴走を解決することが最優先になります。

 

ではどうすれば、意識空間の暴走状態を解決することができるのでしょうか?

問題を解決するには、問題を解決できる自分になること

問題発見の重要性は先の記事で共有しましたが、その問題を解決するためには何が必要でしょうか?

 

それは「問題を解決させることができる自分になること」からはじまります。それはつまり、自分の変化/成長です。

 

コミュニケーションや人間関係の問題に関しては特に、自分のことよりも相手のことばかりを問題視しやすくなってします。

 

なので「あの人がこうだから」「もっとこうしてくれればいいのに」など、問題の原因を相手にばかり見てしまい、相手から先に変化してほしいと願いやすくなってしまいます。

 

しかしこれでは問題解決の糸口は見つかりません。

 

コミュニケーションは車の運転と同じで、どちらか一方だけでも100%自由自在に運転できれば、交通事故は起こりません。極端な話、対向車がこちらに向かって突っ込んできても、自分の運転操作によって交通事故を回避することも可能です。

 

そこから見ると、現代はコミュニケーションの交通事故が多発しており、その結果、分かり合えない/理解し合えない/誤解されたと思いやすく、孤独/不安/不信などの心の問題も増えてしまっています。そこからくる人間関係のもつれによる犯罪につながることも少なくありません。

 

もちろん片方だけが変化/成長すれば良いというものではなく、問題の原因は両者にあると思います。しかし、相手の問題ばかりを見て責め合っていては解決の方法に進むことはありません。

 

ですから本当に問題を解決するためには、まずは自分から先に変化/成長し等とする意志が必要になります。

 

では、自らの変化/成長によってコミュニケーションや人間関係の問題を根本原因から解決するためにはどうしたら良いのでしょうか?

 

問題発見の重要性

私が共有しようとしている、「コミュニケーションの変化」には一般的な内容とは少し違った視点があります。まず次の場面をイメージしてみて下さい。

 

はじめに海に浮かぶ一層の小舟を思い浮かべてみて下さい。

 

その小舟を漕いでいる時にふっと足元を見るといつの間にか水が溜まっています。それを見て慌てて水をバケツで汲み出しました。

 

それでなんとか水を全て汲み出せたかと思ったら、どうしたことかどんどん船底に水が溜まりはじめました。

 

船が沈没しないためにも必死にバケツで水を汲み出しますが、それ以上の速度で水は増すばかりで、どれだけバケツで水をかき出しても、水を減らすことはありませんでした。

 

そうして最後まで水をバケツで汲み出し続けたのですが、その努力も虚しく、船は沈没してしまいました。

 みなさんはこの話を聞いて何をイメージしましたか?はこれはこの船の場面ではなく、人生全般に当てはまるイメージです。

 

一体なぜバケツを使っても水を汲み出すことはできなかったのでしょうか?なぜ水は増え続け、沈没してしまったのでしょうか?

 

なぜならば実はこの船には、船底に小さな穴が空いていたのです。

 

しかし船乗りは、一生懸命溢れ出てくる水を汲み出し続けることに必死で、一切そのことにも気づきませんでしたし、「なぜ水がこんなに溢れてくるのか」という考えすらもつことは出来ませんでした。

 

冷静に考えれば、早めに穴を発見して塞いでしまえば船が沈没することはなかったかもしれません。しかしもし当事者となったら、なかなかそんな発想が生まれないことも理解ができると思います。

 

これは先述したように、皆さんの人生、そして現代の社会状況をそのまま表している事例です。

 

目の前に襲ってくる問題や課題ばかりに目がいってしまい、それをとにかく解決すること/目先の対応ばかりに忙しく、そもそもその問題が生まてしまっている原因を冷静に考えることなど殆どありません。

 

つまりこれはコミュニケーション/人間関係の問題でも全く同じといえます。

 

例えば、話し方や聞き方を上手するために世の中にある多くの本や手法を学んだり取り入れたりすることも全く不要なことではないと思います。しかしそれでは根本的な変化を作ることは出来ず、結局同じような問題/課題を繰り返すことになってしまいます。

 

ですから本当にその問題を解決するためには、それらの問題が生まれている根本原因を明確にするところから初めなければなりません。

 

そしてそこからスタートすることで、今まで取り入れていた方法論や手段も有効活用することができるようになります。

 

ですから何を取り組むに置いてもまず重要なことは問題発見であり、それができることでオートで問題解決ができるようになっていきます。

 

これは相対性理論を発見した世界的な理論物理学者であるアルバート・アインシュタイン氏も次のような言葉で共有してくれています。

If I had only one hour to save the world, I would spend fifty-five minutes defining the problem, and only five minutes finding the solution.

(訳)もし世界を救うのに1時間しかなかったら、問題定義するのに55分、解決策を見つけるのに5分を費やすだろう。 

 

理想のコミュニケーション文化/組織文化とは

現代は人とのつながりが希薄な時代となりました。

 

インターネット/SNSの発展はもちろん、個人主義/核家族、景気の低迷…など要因は様々だと思います。

 

このような時代ですから、企業/学校/家庭など、人が集まり成り立つ組織という場では、より問題が起こりやすくなっている現状があります。

 

互いが分かり合うことは難しく、責め合い/決めつけ合いなどが多発し、できる限り問題にならないように過ごすことも多くなると思います。

 

しかしこれらは逆に多くの無駄を生み出すことにも繋がります。

 

例えば、職場でプレゼンテーションの作成を3人で行う案件が合ったとします。その時に互いの顔色を伺って意見を言ったり、嫌われないように発言を抑えてしまっては、時間も多くかかってしまったり、プレゼンテーションの質自体も下がってしまって、結果に繋がらなかったります。

 

逆にメンバー全員が互いに気を使うことなく、「良いプレゼンテーションを作る」ということだけに集中できていれば、余計なことにエネルギーや時間を使う事がなくなり、時間の短縮や、よりよいアイディアが生まれますし、なによりメンバーがイキイキし始めて、社内全体の雰囲気も明るく前向きになると思います。

 

このようにもしも人間関係の問題が一切なく、全てがスムーズに行くとしたら、時間やエネルギーなど様々な無駄が省かれるだけではなく、互いが互いを活かし会えるような、よりよい組織が自然と作られていくことになります。

 

とはいえ、多くの情報が飛び交い、より複雑化した現代社会においてこのような組織を作り出すことは簡単ではありません。

 

では一体、どのようにすればそのような組織が作れるのでしょうか?そして、そんな組織になるためのコミュニケーション文化はどうすれば構築することができるのでしょうか?

 

そのための鍵は問題発見です。

現代社会で最も補完しなければならない能力

私は多様な問題が溢れている現代社会において、最も必要な能力はコミュニケーション能力だと思っています。

 

ただしコミュニケーションと言っても世の中一般的に言われているコミュニケーションとは少し違った視点です。

 

まず1つに、これまでのコミュニケーションはコミュニケーションをする上での前提である「人間とは何か」「人生とは何か」といった明確な定義・哲学的な整理がなっていないままでコミュニケーションについて語ってきました。

 

もう1つは、コミュニケーションは人間であれば誰もが常に切磋琢磨し続けていく能力ですが、その切磋琢磨させる場/共同体がこれまでの農業社会・産業社会レベルの共同体では限界に来てしまっています。それは上記のように、コミュニケーション活動をする上での哲学的な整理がないままに、形だけの共同体になってしまっているためです。

 

つまり現代社会で最も補完しなければならない力は、明確な哲学的な整理のあるコミュニケーション力であり、それを前提とした共同体だと思っています。

 

インターネット/SNSの発展により情報量が氾濫し、相手に対する判断が厳しくなってしまったり、相互不信、相対比較、ストレス、孤独、疎外感、不安…などが溢れかえっている現代社会。

 

それと同時にインターネット/SNSの普及は、フェイスtoフェイスのコミュニケーションを訓練する機会を極端に減少させました。

 

コミュニケーションの質と量が低下し続け、人間の生きる活力の根源である共同体がその役割を果たせなくなってしまっている現代社会において、「コミュニケーション力の上昇」「全く新しい共同体」が早急に必要だと感じています。

 

ポストコロナ/ポストAI時代は、人間力・組織力の時代です。その人間力・組織力を一言で表現すればコミュニケーション力と言えると思います。

 

そして本当のコミュニケーション力とは、暗記による知識/知能の蓄積によって生まれるのではなく、人間/宇宙自然/文化文明などを哲学的に整理することを通して、それらを観察/認識/理解することからくる智慧の蓄積によって生まれるものです。

 

このコミュニケーション力の上昇によって生まれる本当の相互循環がおこる交流は、個人/家庭/学校/職場/国家/文明がALL-WINした共同体に向かうために必須条件となります。

 

多様な問題が生まれている現代社会においてコミュニケーション力の上昇こそが、それらを解決するために必要な力であると確信しています。

いまの社会って…。

※注:この記事は自分用のメモって感じで、結構長いです。

 

 

私があまり一般的ではない道を歩むようになった大きな理由は、社会に対する観方の違いからだったんじゃないかなと思います。

 

大学に入学するまでは極めて一般的な道を歩んで、当初の予定ではそのまま大企業に就職してたくさん給料をもらうか、研究職について医療や生物学の進化発展に貢献したいと思ってました。しかし結果的に私は、そういった道には進むことはありませんでした。

 

そのキッカケは大学二年生の初夏あたりだったと思います。小中高と野球と勉強漬けだった毎日から一点、大学生になってからはそれまでの鬱憤を晴らすかのように毎日友達と遊びまくってました。大学の授業をサボり、友達の家に入り浸り、ただひたすら毎日を楽しんでいました。

 

そしてそんなことを1年ほど続け、大学二年生に進級し、後輩もでき始めた頃にふっと思ったことがありました。それは「この生活をもう1年続けていきなり就職って言われても、どこにも就職できなくないか?」と言う事でした。簡単に言えば将来への不安です。

 

言っても今まで、高校に入るため、大学に入るためにはある程度準備してきましたし、それらに関しては何を準備したらいいのかはある程度把握していましたからそこまで不安になったことはありませんでした。しかしこと就職となると、何を準備したらいいのかもまったく想像つきませんでしたし、その準備にどれくらい時間がかかるのかもよくわかりませんでした。アルバイトくらいはしたことがあっても「就職する」「働く」ということが何なのかすらよくわからない状態でした。

 

そして大学二年生の秋頃から、それまでの遊び一辺倒の毎日から、アルバイトに明け暮れ、学外での活動に重きをおくようになり、他大学の人との交流や、これまで知らない世界を知るために国際支援というものに関わったり、社会人の方との交流を多くとったり、インターンシップに参加したりしました。それらを通して少しづつではありますが、「就職する」「働く」などに対するイメージを広げていきました。

 

そしてここら辺からです、私の方向性がゆらぎ始めたのは。

 

そもそも私は幼少期の頃から、拭えなかったある一つの疑問がありました。その疑問とは「私たちが生きているこの社会は、本当に良くなっているのだろうか」というものでした。

 

そもそも小さい頃のわたしはとても単純でのんきな子供であったと思います。その頃は社会に対してどちらかというと、物凄く肯定的な受け取り方をしていたと思います。

 

小学生の時にゲームボームが生まれ、スーパーファミコンが生まれ、パソコンが家に来て、携帯を持ち始めて…ですから言ってしまえば、社会はどんどん良くなって、進化して、便利になっていて、最高、くらいに思っていたと思います。

 

しかし私のその考えにひびが入るきっかけとなる3つの出来事がありました。それは、「近所のおじいさんの話」と「家の鍵の問題」と「テレビのニュース」でした。

 

近所のおじいさんの話とは簡単に言えば、私の家の近くに流れる川が、昔はきれいで、鮭もいて、泳げて、船も通ってたという話です。

 

家の鍵の問題とは、私の家は茨城の田舎なんですが、家を出るときもずっと鍵を〆てなかったんですが、小学生中学年?くらいから、「最近は物騒だから、鍵を閉めるようにしようね」となった話です。

 

「テレビのニュース」とは、物事が分かるようになってきた小学生中学年?くらいのときに、毎日みているテレビのニュースから、毎日のように異なる殺人や凶悪な事件の情報が流れているのを見ていた話です。

 

これら3つは当時、だいぶ衝撃で、

「え?今の社会って昔より悪くなってるってこと」

「え?私が知らないだけで、社会って結構怖いところなの?」

「え?でもみんな結構普通に生きてない?なんで?」

っていう感じでした。子供ながらに結構驚いた記憶があります。とはいえ周りにそんな反応をする人もなく、「まあそういうもんなのか」くらいに済ませて、深く考えることもありませんでした。

 

そこから私も中学、高校と進学し、そんな社会のことよりも、自分自身のことで忙しくなり、そこまで社会に目を向けることはありませんでした。

 

そしてそんなところで、話は大学2年生の秋ごろから始めった、「社会」や「働く」ということに対する模索でした。そこで私は、小さい頃の衝撃に似た驚きを再び感じ始めます。

 

それは「私が想像した以上に世界は問題にあふれていたこと」。そして更に驚いたことに「想像以上にみんなそれらの問題に関心がないこと」でした。特に2つ目に驚きました。

 

私の大学での専攻は生命科学だったので、その中で理解した環境問題だけでも、だいぶ進行しており、将来地球、結構やばいんじゃね?って感じてました。あとはそこに付随したごみ問題とか、森林伐採とか、エネルギー問題とか…それらの問題だけでも膨大にあるように感じました。

 

その他にも色々調べてみると、世界の貧困・飢餓・紛争の問題もそうですし、家庭内暴力、離婚、少子高齢化、いじめ、差別・偏見、若者の生きる意欲の低下、格差の問題…取り上げれば取り上げるほど、世界は私が想像していた以上に問題が溢れていました。

 

まーとは言え、問題が溢れていたとしても、解決さえすれば問題ないですし、人類自体が多くの問題を解決し続けてきた結果がいまの社会なので、それ自体にそこまでの不安がありませんでした。

 

しかし驚いたのはこの次の段階でした。それらの問題を理解した上で、「さーじゃあどの会社、どんな業界で働こうか」と調べていた結果、大きな違和感を感じました。

 

それは

「え?みんないま社会に溢れてる問題に関心ないの?」

「環境問題を解決する企業、ほとんどなくない?」

「貧困・飢餓・紛争を解決する企業、ほとんどなくない?」

「家庭内暴力を解決する企業、ほとんどなくない?」

ということでした。

 

今思えばわたしがあまりに無知だったのだと思いますが、いまの社会の中心企業の殆どがそこに関心がないこと、そして会話をする社会人の方々がそこに関心がないことに驚きました。

 

もちろんCSRとして取り組まれている企業はいくつもありましたが、それはあくまでも企業活動の中心ではなく、派生的なものでしかありません。そんな社会にあふれる問題を中心として取り組む企業が、就職活動をしようとしている私の触れる情報に殆どないことに驚きました。

 

そしてやっとこさ調べて、環境問題に取り組む企業としてはそこそこ有名なベンチャー企業でインターンをさせてもらって更に驚きました。だいぶ偉そうなことを言うかも知れませんが、当時の率直な感想としては「え?これだけしかやってないの?」でした。

 

それはつまり、私が理解した環境に関する問題全般からしたら、その企業が取り組んでいることは、乾いた広大な砂漠に、水を一滴垂らしているだけ、その程度の影響力しか持つことが出来ない行為に感じました。

 

もうそこからは調べに調べました。上記に並べたような問題に対して、どれだけの企業が、どんな取り組みをしようとしてるのか。そうしたらやっぱりそういった企業はほとんど見つかりませんでした。大規模にやっていても営利活動ではなく、寄付金や政府からのお金を元に活動している程度で、本当に取り組めていて、かつ大きな企業となっている例はとても少なかったです。

 

けっこうビビりました。というか結構焦りました。当時の私の感覚では、「いま社会にある問題の量に対して、解決する側の量、全然足りなくない?」「てか将来、これだいぶやばくない?」「なんでみんなそんなに無関心でいられるの?」という感じでした。

 

このままでは将来、これまで自分が受けてきた恩恵すら享受することが難しくなるように感じました。

 

そして問題の量に対して、解決の量が増えない原因は「ビジネス化する仕組みが出来ないこと」であり、さらにその原因は「それらに対する解決策を見いだせていないこと」だと感じました。

 

だからなんとか寄付金や、国からのお金で問題が悪化しないように食い止めて入るけど、それらの問題が生まれる原因に栓をすることが出来ないないから、どんどん問題が溢れてくる。

 

そしていまは資本主義であるからみんな自分が生きるために大事なことはまず何よりも「お金」。だから簡単にお金をもらうことが出来ないそれらの問題の解決への取り組みはメジャーではないんだ、と理解しました。それがだいたい、大学3年生の冬だったと思います。

 

そこから私は、既存の就職活動の流れと少しづつ異なり道を歩み始めました。

 

「では溢れるそれらの問題の中で、どこから手を付けるべきなのか」

「そもそもどの問題が取り組むべく優先順位1番の問題なのか 」

 

それらが次に私の中に湧いてきた疑問でした。これが本当に難しかった。これが次の大きな驚きに繋がりました。その驚きとは「私はあまりに何も知らない」ということでした。

 

上記の質問の答えを得るために私は、「そもそも社会とは何か?」「社会とはどうあるべきなのか?」「なぜ社会はこのような状態になっているのか?」を理解する必要が出てきました。しかし当時のわたしはそれらに対する回答を持ち合わせてはいませんでした。

 

なので必死にいろいろな人に聞いたり、いろいろ調べたりしてみたんですが、その領域を理解することは、想像以上に「難しい」ということが分かりました。そして時間はどんどんと過ぎ、大学4年生へと進級しなければならない時期に差し迫りました。

 

しかし私は「ほんとうにこのまま進級して、卒業を迎えていいのだろうか?」という疑問が生まれ始めました。

 

このまま進級すれば否応なしに、就職の話になる、卒業のために論文も書かないとならなくなる。でも現在の私は、本当にそんな現在地なのだろうか。その前にもっと知るべきことがあるんじゃないだろうか…そんな葛藤が続きました。

 

そして私は「このまま進むことはできない」と判断し、大学を1年休学することにしました。そしてその1年を「社会を理解するための1年としよう」と決めました。

 

とはいえ、当時の私は「どのようにすればそれらを理解することが出来るのか」の見立てがありませんでした。しいていえば「たくさん本を読んで、自分の知らない世界を知って、色々やってみる」くらいでした。でも1年位あればある程度整理できるだろうと思ってました。しかし、それが大きな誤りだったと気づくことは、そんなに時間がかかりませんでした。

 

図書館でたくさん本を借りて、いろいろな人に質問して、自分で整理してみて…それを繰り返して、次の驚きが来ました。

 

「え?社会を理解するの結構難しくない?」

「てか、思った以上に、その世界、整理されてなくない?」

ということでした。

 

「社会とはなにか?」

「どのように生まれたのか?」

「なぜ今のような状態になっているのか}

 

もちろんこの問いに、その人なりに答えている回答はありましたが、それらはあくまで1意見であって、それが誰もが納得できる答えか、といえばそれはNoでした。

 

そして「社会」というものを理解するには「人間とは?」という問いに答える必要も出てきて、さらにその問いに答えるには「自分とは?」という問にも答える飛鳥が出てきました。

 

もうその領域に進むとさらに答えは皆無で、宗教的な世界や、精神世界的な世界の抽象的て主観的に表現や整理が多いことがわかりました。しかしもしかしたら哲学などの世界では整理されていたのかも知れませんが、当時の私はそれらの難書を読み解くだけの力もなく、とても苦労しました。

 

「そうか、この世界を理解することは思った以上に簡単ではないのか」

休学して2ヶ月ほどでそのことを理解することが出来ました。

 

そしてそこから海外で生活してみて、いろいろな経験をして、さらに色々な人の話を聞いて…

 

「あー私が整理したいと思っていた世界と出会うのは、1年じゃ無理なのかも知れないなぁ…どうしよう…」

 

と思っていた時に出会ったのが、nTech創始者のNoh Jesuさんでした。色々は人の話を聞いていた延長で、たまたまチケットを頂くキッカケがあり、彼の講演感に参加したのですが、とてもびっくりしたことを覚えています。

 

そして話を聞けば聞くほど、こんなにもこの世界をシンプルに、客観的に、包括的に整理し、話している人を私は見たことがありませんでした。

 

そこで私は、「この人が整理してる世界を受け取ることが出来れば、私自身がこの世界の全体像を整理して、何をどこから手を付ければいいのか、判断することができそうだ」と思い、彼が体系化したnTechを学ぶようになりました。

 

そこからは学ばせてもらいながら、色々な経験を積ませてもらい、今に至り、nTechを取り入れて、全体像が整理された、いま。

 

「どこから、どのように手を付けるべきなのか?」

「何が優先順位1番で解決するべき問題なのか?」

 

そこに本格的に着手することが出来るようになりました。

・人と組織のイノベーション

・資本主義の限界を補う心(哲学)の産業化

・誰もが全体像を分かってチームプレーできる社会つくり

 

問題の量>>>>>>解決の量

 

ではなく

 

問題の量<<<<<<解決の量

 

となり、

 

誰もが安心して、自分の人生を謳歌することが出来る。そんな社会作りに向けて、現在は日々過ごしています。

 

 

久々に自分の人生を整理したくなり、書きました。すっごく長くなりましたが、もしここまでお付き合いいただいた方がありましたらありがとうございます。

 

どうぞこれからもよろしくお願いします。

カント哲学が理解できた『令和哲学カフェ』がほんとにすごかった。

皆さんは「哲学」と聞いてどんなイメージを持たれますか?

 

私は正直イメージすら沸かないくらい、哲学とは程遠い人生を歩んできました。

 

ソクラテス

プラトン

無知の知

イデア

…etc

 

高校時代にそんな授業があった気もしますが、ほとんど居眠りしてしまっていた気がします…。

 

そんな私がNoh Jesuさん主催の『令和哲学カフェ』に参加して、なんと哲学史上でも難解と言われている純粋理性批判などで有名なカントの哲学についてとても深く理解することができました。自分でも驚きです…。

 

昨日の令和哲学カフェでは「哲学とは何なのか?」「なぜ哲学が必要なのか?」について、カント哲学を中心にして深めていくような内容でした。

 

そしてWHTというコミュニケーションワークではNoh Jesuさんから「観点とは何ですか?」「なぜ観点が必要ですか?」というテーマが出され、会場にいた5人の参加者の方がNoh Jesuさんと共にそのテーマについてディスカッションしながら深めていきました。会場の様子はこんな感じです。

 

ただ、正直私は「なんと難しいテーマを設定するんだろうか」と思いましたし、実際に参加された人たちもとても苦労していたように思いました。そしてそんな状態で刻々と時間が過ぎていく中「Noh Jesuさんはこれをどうまとめるつもりなんだろうか」とだんだん不安になっていきました。

 

しかし、それらの思いはその後のNoh Jesuさんの整理ですべてが大反転してしまいました。その深すぎる意図を目の当たりにして、私はほんとうに鳥肌が立ってしまいました。Nohさんはあえてカフェ全体で参加者や視聴者にカオスを作ってくれていたんです。本当に驚きました。

 

まとめに入るとNohさんはこう話し始められました。

 

「観点が何なのか。なぜ必要なのか、かなり難しかったですよね。これは簡単じゃないことなんです。」

 

「カントはこれを発見して、カント以前の全ての哲学を完璧に整理整頓してしまったんです。」

 

「それはカントによって形而上学が終焉を迎え、ポストモダニズムが始まったということであり、真理の基準点を客観性から主体性に移動させ、人間一人一人の主体性を強化させる今の時代の個人主義をスタートさせる礎がカントによって作られたということです。」

 

「そして実は、現在我々が遭遇しているコロナの危機を反転させるキーワードも観点なんです。」

 

 なんと!!

 

 Nohさんはあえて「観点を理解することの難しさ」を参加者・視聴者の全員に味わってもらうことで、カントの凄さ・観点の重要性を理解できるように器作りのためにカオスを作ってくれていたんです!もうほんと鮮やかすぎて驚きまくりました…。

 

実際、そのカオスの状態がなく初めからカントの話や、観点の話を聞いただけでは「へーそうなんだ」くらいで終わっていて、ただの知識で終わってしまっていたような気がします。

 

おかげで私はもっと哲学のこと、観点のこと、カントのことを知りたくなりましたし、なぜそれがコロナの危機を反転させるキーワードなのかも理解したいと思えるようになりました。ただの一方的なインプットだけで終わらない令和哲学カフェの形式だからこそここまで感じることができたと思えました。

 

なのでぜひ、もっと哲学のことを理解したい、本質的なことを理解したいという方はもちろん、本を読んでもよく分からない、聞いたことはあるけど難しそうだから敬遠したいた、もっと哲学を自分と繋げたいという方にも、とってもおすすめです!

 

無料で平日21時〜やってるので、ぜひぜひ気軽に参加してみて下さい〜

reiwaphilosophy.com

 

 

コロナ後の社会って、結局どうなるの?『ポストコロナonline会議』

コロナの第一波が落ち着いてきましたが、皆さんはその後の社会はどのようになると考えていますか?

 

私は多くの方が指摘しているように、コロナ前に戻ることはできないと思います。これは全国民が理解を一致させる必要があると思っています。

 

そうしなければ、ただでさえIT後進国となり、人口減少を筆頭に課題先進国となった日本は、もう立ち上げることができなくなってしまうと感じています。

 

そして今回のコロナで本当に危ないなと思ったことは、安倍さんの発言です。

news.livedoor.com

 

これはほんとにほんとに危ない発言だと思いました。ただもし、これが日本国民の心を安心させるためだけのパフォーマンスならOKだと思いますが、本心で安倍さんも、政権中枢の方たちも本気でこう思ってるなら、日本はほんとに危ないと思っています。

 

イチローさんの言葉の中で私がとても心に響いているものがあります。ちょっと正式な文言は忘れてしまったのですが、以下のような感じでした。

理由のわからないクリーンヒットを打っている時より、理由のわかる凡打を打っているときの方が調子がいい。

 

これってホント本質を突いていると思って、たとえ凡打だったとしても、それの理由がわかっていれば、改善をかけてよりよくしていくことはできますよね。でも、いくらクリーンヒットを打ってもなぜ打てたのかが分からなければ、いつ打てなくなるのかもわからないし、まるでギャンブルをしている状態で、とても不安になると思います。

 

私はまさに今回の日本の状態が、「理由のわからない成功」だと思っています。各所メディアや専門家の方たちも、なぜ日本が感染者や死者が少なかったのかを分析されていますが、私はどれも的はずれな気がして仕方がありません。

 

私はそんなことに時間を使うよりも、第二波が来た時にどう対応するのか、そこに備えて今のうちに準備できることを早急に対応する必要があると思っています。なぜならまだコロナに対するワクチンも、対策も全世界でどこも完成されておらず、いつ何が起こるか全く予想のつかない状況だからです。

 

ですからまずは全国民がその危機意識を持ち、コロナ前に戻ることがないことを受け入れ、ポストコロナに向けて、一丸となって取り組んでいく必要があると思います。

 

ということでそんな思いも持ちながら、週に1回づつくらいで、「ポストコロナonline会議」というonlineイベントを無料で開催していますので、日本の現状に問題意識を持っていたり、新しい日本の方向性を模索されたい方など、 ぜひぜひご参加下さい。

 

次回は6/12(金)19:00〜21:00です。

peraichi.com

 

どうもやっぱり日本は曖昧・平和ボケが中心になってしまっているの気がして、危ない気がしています。

 

参加者の声はこんな感じです。

ポストコロナonline会議Vol.10をまとめました - Togetter

 

数学はほんとにすごいよ、って話。

皆さんは、学生のころ、勉強をしっかりやったタイプですか?

 

私は、まあ、ぼちぼちなタイプでした。色々な物事を整理するのは好きだったので、そういう意味では結構勉強を楽しんでたタイプだと思います。

 

でも、進めば進むほど、学ぶ内容が良い分からなくなって、いろんな単語が出てきたりして、その単語の暗記が追いつかなくて勉強を諦めたタイプです。

 

でも、今更ながらに思うことは、数学だけはしっかり理解しておいたら良かったなぁ、ということです。

 

というか、数学とは何なのか?これを学ぶことで何が変わるのか?を教えてほしかったなぁ、と思ってます。とはいえ、教えている先生も、数学がなにか?数とは?数字とは?の理解が追いついてなかったと思うので、難しい話ではありますが…

 

じゃあなぜ、私が数学だけはしっかり学んで起きたかったかというと、数学を学ぶことで全く違う視点から世界を理解できたからだと思っています。

 

数学を知らなければ、この世界を、視覚情報から得た認識方式でしか理解することはできません。色、模様、形…。

 

しかし数学とは、視覚情報ではなく、数式によって、この世界を認識することが出来る学問です。つまり全く違った見方でこの世界を認識することが可能になります。それはつまり、より深くこの世界の作動原理を理解することが出来るということです。

 

現代社会の学問の王者は物理学と言われています。すべての物質の理を理解しようとする学問です。

 

ニュートンから始まり、物理学の発展が、西洋の発展に繋がり、現代社会の発展につながっています。

 

PC、スマホ、冷蔵庫、電子レンジ、蛍光灯…現代社会で、物理学の恩恵を受けていないものはないと言えるほどに、現代社会の発展は物理学の発展と共にあります。

 

そしてその物理学の裏にあるのが、数学です。物理学はすべてを数式で表します。つまり、数学が現代社会の覇者になります。医学、生物学、経済学、心理学、情報工学…すべての発展の裏には、物理学・数学が存在しています。

 

つまり現代社会を発展させているのは、物理学・数学であり、物理学者・数学者です。そして現代社会の中心で経済を回しているほとんどの人たちは、物理学・数学の原理を理解しています。

 

つまり、数学を理解しておらず、視覚情報のみでこの世界を認識している人よりも、数式でこの世界を理解している人たちのほうが、より正確にこの世界を捉え、変化させる力を持っていることになります。

 

「テクノロジーの力」とよくいいますが、それはつまり「物理学・数学の力」ということになります。ですから、物理学・数学を会得し、数式でこの世界を認識できる人たちは、それを知らない人よりもとても広く世界を認識することが可能になります。

 

だからこそ思うのです…なんでそれを教えてくれなかったのか、と…。それを知っていたら、もっと楽しく、自分とつながって、数学を理解できたのに…。

 

とはいえ冒頭でも伝えたように、教えている先生で、数学をほんとうの意味で理解し、その凄さを実感している人は皆無と言ってもいいと思います。なぜなら数学のすばらしさを伝えられる人は数学を理解している人であって、その数学を理解している人は、この世界でもほんの一握りの人であるからです。

 

それをかのイーロン・マスク氏がとても分かりやすく、表現してくれています。

宇宙起業家astropreneur.jpのサイトに、スペースXのイーロン・マスク氏が、クリス・アンダーソン氏とTEDで対談している様子が記されていた。


C(クリス・アンダーソン) 私の理論では、あなたはデザインを、システムのレベルで考える能力があって、テクノロジーとビジネスとデザインを、TEDならぬTBDですね、これらをひとまとめにして類まれな方法で総合することができる。そしてここが肝心なんですが、そのまとめあげたものに凄く自信を持っていて、とんでもなく大きなリスクも負うことができる。あなたは自分の財産をそれに賭けました。しかも何度もやっています。ほとんど誰にもできないことです。その秘伝を教えることはできないでしょうか?それを教育システムに組み込んだり、誰かに伝えることは出来ないものでしょうか?あなたがしたことは本当に驚くべきことだから。

 

E(イーロン・マスク) ありがとうございます。考えるための素晴らしいフレームワークがあります。物理学です。原理と推論、つまり物事を本質的な真理まで煮詰め、そこから推論するということです。アナロジーで推論するというのでなく、我々は生きていく上でアナロジーによる推論をしています。これは本質的には人のしていることを真似て少しだけ変えるということです。それは必要なことです。そうしなければ、日常生活も精神的に困難になります。しかし、何か新しいことをしようという時は物理学のアプローチを使う必要があります。物理というのは、量子力学のような直感に反する新しいものを見つける方法なんです。だからそのようにするのが重要だと思っています。またネガティブなフィードバックに注意を払うことも重要です。特に友人に意見を求めることが大切です。シンプルなアドバイスに聞こえるかもしれませんが、ほとんど誰もやっていないことで、凄く力になるんです。

■引用:https://entre.exblog.jp/18481308/

 

 

どうでしょう?これを読むだけで、世界の最先端を走っている人たちの思考を垣間見れる気がしますよね。

 

まーとにかくもっと小さい頃から数学的概念思考を会得したかった!!という話です。

 

数学の偉大性、もっと皆さんと共有したいです。

 

そして今の日本には、物理学・数学をマスターした人材。そしてそれにとどまらず、哲学・美学もマスターした人材がほんとにほんに必要だと感じてます。

 

 

相談相手がいる幸せと人間の美しさ。

人は誰もが人生を歩んでいれば解決が難しい悩みと遭遇します。

 

・人生の方向性

・人との関係性

・将来について

…etc

 

そんな悩みと遭遇した時に、相談する相手がいるということほど幸せなことはありません。

 

とても当たり前のことではありますが、人は一人では生きていけません。なぜなら、生まれながらに未熟を持っており、不完全だからです。

 

まだ動物のほうが自立しています。なぜなら、生まれてすぐに立ち上がり、体の大きさ以外は大人と同じ様な存在となります。しかし、人間は違います。多くの未熟を持って生まれ、沢山の周りの助けをもらって、成長していきます。

 

そして人間は、誰もが独自の価値観・判断基準を持っています。観点とも呼びます。

 

10人10色と呼ばれるように、ひとつの物事を全く同じように捉える人はおらず、自分の見方は自分にしかできません。逆に言えば、別の見方は自分にとって盲点となり、見えなくなります。人生を生きる上で遭遇する悩みの多くは、そんな自分の見方では見えないところに発生しやすくなります。

 

そんな時に助けになるのが、別の誰かの見方です。それが相談相手です。

 

自分が困っている時に話を聞いてくれる。質問してくれる。心配してくれる。叱ってくれる。アドバイスをくれる。違う見方を教えてくれる。

 

そんな人が居てくれるから、今までにはない自分の見方を取り入れることができ、悩みを突破し、より人間として成長することができます。そして次は自分がその相手が思い悩んだ時に、別の見方を見せてあげられる。

 

そんな相手が居ることが、どれほど幸せなことなのか。そしてそんな相手が居ないことで、どれほどの人が苦しんでいるのか。

 

本当にこの世界は良く出来てるな、と思います。人間は不完全だからこそ、完全になれる。人間とは人と人の間、つまり関係性のこと。つまり一人では生きていけないということ。美しすぎるな、と思います。

 

でも、今の社会はそのようになっていませんよね。中心概念が個人主義・競争社会なので、どうしても関係性よりも、個人の幸せ・成功を重視してしまいますよね。それは社会の流れなので仕方のないことだと思います。

 

でもきっと、本来の人間の性質から言えば、個人主義は合ってないんだと思います。その結果が現代社会の多くの解決の道が見えない問題たちだと思うんです。本来、人間という存在は、動植物が生態系という完璧なharmonyを奏でているような、そんな美しい関係性によってその可能性が花開くのではないかと思います。

 

それは聖徳太子が提示した『和』という概念に秘められている気がします。

 

もしあなたが、この個人を強調する個人主義社会で、心の奥底から信頼でき、何でも相談できる方が一人でも居るのであれば、それは本当に幸せなことだと思います。その相手がいずに、苦しんでいる人がほとんどだと思います。

 

ですからぜひ、その関係性を大事にしながら、よりそんな関係性を広げて言ってもらえたらと思います。

 

そして私は、そんな関係性が地球上に広がるような、そんな社会を作っていきたいと思っています。

相手を理解したい心からしか関係性は生まれない。

皆さんは身近に、なかなか理解し合えない人がいますか?

 

職場、家族、友達・・・

 

理解し合いたい、もっと関係性を築きたいのに、うまく関係を作れない。だからもうその人との関係性を諦めて、距離を取って、なるべき関わらないようにする。

 

そういう相手が一人くらいはいるんじゃないかな、と思います。

 

そんな時に関係性を諦めるのではなく、より関係性を深めるためにはどうしたら良いのでしょうか?

 

沢山話す?

一旦冷静になる?

文字で自分の主張を整理して、送ってみる?

 

色々な手段はありますが、まず大事なことは、自分の根底にある心を再確認することだと思います。

 

自分の主張をすることばかりを優先して相手の話を聞こうとしていますか?

とにかく相手に、自分の主張を押し付けようとしていませんか?

 

もしそんな時に、自分が上記のような状態だった場合、相互理解に持っていくことはとてもむずかしいと思います。本当にその相手と関係性を作るつもりがあるならば、自分自身が変わる必要があります。

 

それは「相手の心を理解したい」という自分の心からです。そしてそのためにまずは、自分の主張を手放す必要があります。

 

自分の主張を手放し、相手の話を100%聞いて、理解する。そのうえで、はじめて自分の主張を始められます。

 

「そこまでしないとならないの?」

 

実はそうです。人と人とが理解し合うことはそれくらい難しいことです。もしそこまではしたくない、ということであれば、その人との関係性はその段階でストップすると思えば大丈夫です。

 

無理して「理解し合え」と言っているわけではないです。「理解し合いたい」と思うのであれば、それくらいの変化が必要、ということを共有したくてこの話をしています。人類の歴史を振り返ってみれば分かりますが、人と人は殆ど理解しあえずに現代にまで至ります。

 

もし自分が関係性に悩んでいる時は、それくらい誰もが悩んでいることであることを自覚することが大事です。自分と相手だけの問題ではなく、人類共通の課題であることを理解することが重要です。

 

ですからまず「自分はその人とどんな関係を築きたいのか」、そして「どれくらい相手を理解したい」と思っているのか。そんな問を持ってその相手と対峙することで、少し景色が変わってくるんじゃないかと思います。

 

会話も大事

距離を置くことも大事

関係を切ることも悪くない

 

でも何よりまずは、自分自身の心を向き合ってみて下さい。

話題沸騰中の『令和哲学カフェ』は最高のエンタメ。

いきなりですが皆さん、自分はコミュニケーションの力がある方だと思われますか?

 

そう思う。

そんなことない。

どっちとも言えない。

 

色々な現在地があるかと思いますが、コミュニケーションの本質を実感し、上昇させていく最高のエンターテイメントonlineカフェが始まりました!

令和哲学カフェとは

 

HP:令和哲学カフェ – 心をアップデートする

 

もうとにかくとにかく面白すぎました!もう、まずは参加者の声を聞いて下さい!

 

参加者の声

 

 この他にも主催のNoh Jesu氏のTwitterには多くのコメントが溢れています。

 

内容について

じゃあ実際にどんなことをやるのかというと、ちょっと特殊なコミュニケーションワークが展開されます。

 

いや、ちょっとどころではないかもしれないです。私達が知ってる世界で近いものとしては「朝生」や「白熱教室」に近いかもしれませんが、それらとも全く異なる世界で話が展開されていきます。

 

実際にそのワークに参加するのは数名で、Zoomで参加している200名くらいの人は観戦者という形式ではありますが、まったく沿う感じさせないくらいの没入感を味わいます。

 

それでいうと一番似ているのはスポーツ観戦かもしれないです。とにかく「コミュニケーションでこんなにエキサイトできるのか」というくらいエキサイトします。

 

主催者Noh Jesu氏について

主催のNoh Jesu氏は、1996年から日本で独自の哲学『令和哲学』を体系化され、出版した書籍「宇宙一美しい奇跡の数式〜0=∞=1〜」は各所でランキング1位を獲得し、英語版の著書も年内に発売予定です。

 

最近はyoutubeチャンネルも開設されています。

Jesu Noh - YouTube

 

以下は、youtubeより引用したプロフィールです。

令和哲学者Noh Jesu

日本を拠点に活動する韓国人。数学・物理学・哲学など様々な学問の大統合を可能にするnTech開発者。韓国生まれでありながら、世界の未来の鍵を握るのは日本であることを確信し、24年間人生を賭けてJAPAN MISSIONを発信・実践し続けている。著書に「宇宙一美しい奇跡の数式(0=∞=1)」、「日本の和心」など多数あり。

 

今最も日本に必要なんじゃないか

私はコロナ騒動を皮切りに、日本の大きな変化の必要性を感じています。

 

日本国民全体の底上げもそうですが、日本の舵を握っているリーダーの人たちが、しっかりと世界と渡り歩くことが出来る基礎人間力がなさすぎることを痛感する日々です。

 

これまでの日本は、国内に目を向け、アメリカだけを頼りにしていたらなんとかなる時代であったかもしれません。しかし、時代は大きく代わりました。

 

アメリカも、イギリスも、ロシアも、中国も、どこの国も方向性を模索しています。自国を成長させ、守り抜くだけでも必死です。そんな情勢の中で、誰かの後ろについていけば乗り切れる時代はとうに終わってしまっていると思います。

 

そんな時代に突入しようとする私達に最も必要な力とは何なのでしょうか?私はその力をこの令和哲学カフェに痛いほど感じさせられました。

 

終わりに

ぜひ少しでも興味のある方、または平日21時〜で面白い番組を見つけられなかった方は、令和哲学カフェに顔を出してみて下さい。ほんとにテレビ局の方が参加していたら、出演のオファーが来るんじゃないか?ってくらい面白いです。

 

この令和哲学カフェを通して、日本全体の人間力の底上げがなされることを願います。

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

感情的に受け入れられない人に出会ったらどうしたら良い?

人生では必ず「感情的に受け入れられない」という人に出会いますよね。

 

人は誰しも価値観・判断基準を持っていますので、それは仕方のないことだと思います。

 

ですので大事なことは、そういった人と出会った時の対処法です。この対処法を間違えれば、大きな火傷を負うこともあるので気をつけて下さい。

まずはじめにやること

まずはじめにやることは「距離を保つ」ことです。

 

なぜならそういった人とは、距離が近ければ近いほど、より感情が湧き上がってきて、冷静でいることが困難になります。

 

冷静を保てなければ、より関係性はこじれ、問題が大きくなる可能性が高くなります。

 

ですのでまずはその人との距離を保って下さい。

 

分析する

距離を保って冷静になってきたら、分析を開始します。

 

自分はその人にどんな抱いているのか?

その人のどんな要素にその感情が働いているのか?

なぜ私はその要素に対してその感情が働いているのか?

 

このパートが簡単ではないですよね。

 

しかしこのパートの整理ができないと、常に似たような相手に対して、同じ様な感情が働き、人間関係がこじれていく可能性が高まります。ですのでここはしっかり行うことが大事です。

 

もし一人で難しい場合は、第三者的な人に話を聞いてもらって整理することも大事です。

 

相手との関係を改めて考える

上記の分析がしっかりと完了することができれば、かなり自分に対する理解、ににん減対する理解が進んだと思います。

 

自分とはどういう人間なのか?

人間とはどういう存在なのか?

 

それらの理解が進むことで、人はより客観的になることが出来ます。

 

そして「自分が相手に感情的になっていた原因」が理解できた次に行うべきことは、「その人とどんな関係を作っていきたいのか」を考えることです。

 

自分の人生は、自分のものです。その人生の時間をどこに使うのかを決めるのも自分です。

 

ですから「自分はどのような人生を歩みたいのか」という基準を定めることで、「その相手とどのような関係性を作りたいのか」に対する意思決定が可能になります。

 

どんな人間関係を作っていきたいのか

そしてその基準となるのは、自分が人生において「どんな人間関係を作って生きたいのか」です。

 

もし「その相手ともう関わらないようにしよう」とするのであれば、今後は基本的にそのような人とは関係を作らない人生を歩むことになります。

 

逆に「誰とでもしっかり関係を作れる人生にしたい」と思うのであれば、今回のような人とも関係を作れる自分になるために努力をする必要があります。

 

人間関係の仕組みは、学校の授業では教えてくれません。さらにいえば社会で働いているほとんどの人も人間関係の作り方がよく分からないままの人が多いです。ですからもしかしたら、前者を選ぶ方が大半かもしれません。

 

人間関係を勉強するチャンス

しかし実はピンチはチャンス。人間関係に問題が起きたときほど、人間関係を学ぶ最良の題材になります。ですからその機会をもしチャンスに変えることができれば、自分の人生にとってとても大きな収穫となります。

 

そしてそこから「人間ってどういう存在なんだろうか」「人間関係ってなんだろうか」という疑問が生まれ、そこから自分をより進化させていく道が始まります。

 

そして先に答えを言ってしまうと、人間・人間関係を理解するための鍵は「判断基準」です。判断基準に関しては以下の動画を参考にしてみて下さい。

youtu.be

 

終わりに

いかがでしたか?

 

どうしても人生において受け入れがたいと思ってしまう相手はいると思います。ですので、もしそういった方に出会ったときの参考にしていただければと思います。

 

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました、

イベント丨SNS3.0で、心の時代をリードする日本へ!

コロナが世間を騒がせている中ですが、約1週間後の5/24(日)にオンラインでのイベントを開催致します。もしご自宅でお時間ある方はぜひご参加くださいm_ _m


内容

  • 今の時代に解決すべき3つのコロナとは
  • 世界的な雇用問題を解決する新産業を生み出すためには
  • 次世代型SNS3.0『Diglink-ディグリン-』とは
  • 日本の良さを生かした組織産業とは
  • 日本から明治維新を超える、令和維新が始まる

※ゲストスピーカー
令和哲学者、消化器外科医・緩和ケア医、広告絆促支援業経営者、プログラマー、北海道2.0構想代表発起人など


対象

  • 雇用問題の解決に関心がある方
  • 日本から始まる新産業に興味がある方
  • Facebookを超える「SNS3.0」に関心がある方
  • コロナ以降の時代どうなっていくのか関心がある方
  • コミュニティ作りに関心がある方
  • 地域活性化に関心がある方

など


日時


5/24(日)13:00〜16:00
※途中休憩あり

 


参加費


1000円


申込方法

https://t.livepocket.jp/e/1_use

 


HP

 

rerise-festival.com

価値は変化していく、常に。

人間は生きていく上で、自分の人生の中心軸となる価値を無意識で決めています。

それは、その人だけの個人的な価値もあれば、大きな集団としての価値の時もあります。

 

価値とは別の言葉にすれば基準点です。つまりその価値が、その人が生きていく上での基準点となります。そしてこれは往々にして、無意識であることがほとんどです。

 

例えば分かりやすく言えば「人を殺すことは悪」「お金が多くあることは善」「人に優しくすることは善」「人の悪口を言うことは悪」などがあると思います。

 

あとはもっと流動的なもので言えば「これからはPCではなく、スマホの時代だ」「ブロックチェーンの時代だ」「年功序列は良くない」などがありますね。

 

人はそのように常に自分自身の価値基準を探し、決め、それに沿った行動を取ります。そしてその価値基準が時代の流れとマッチした時に、その人の行動は、川の流れが応援するかのように、加速していく事ができます。

 

例えばPCの時代を開いたビル・ゲイツ氏と、スティーブ・ジョブズ氏も、タイミングがあと20年早かったら、あと20年遅かったら、これだけ事業を拡大し、金銭を成就し、影響力を持つことはできなかったと思います。

 

そのように時流を読み解き、自分自身の価値基準をどこに置くのか、が人生を過ごす上でとても大事な鍵となっていきます。

 

そしてここで抑えておかないとならないポイントは「価値は変化していく、常に」ということです。あえて「常に」を後ろに持ってきたのはそれを強調したかったからです。

 

現在のコロナ現象を見ても分かる通り、目にも見えない小さいウィルスが1つ登場しただけで、こんなにも世界は目まぐるしく変化していきます。そして価値観の転換が起きていることも見て取れると思います。このように、常に人類は、環境の変化とともに、価値の転換を起こし続けてきました。

 

そしてこれからの時代は、人類史上経験したことのない速度で変化が起こっていきますので、今までとは比べ物にならないほどの価値の転換が"置き続けて"いくことが予想されます。

 

  1. 人は価値を決め、それに沿って生きていく
  2. その価値が、時流とマッチした時に、大きな影響力を持つ
  3. 価値は常に変化していく

 

では、これからの時代を生きていく上で、どのように価値を定めていく必要があるのでしょうか。やはりそのヒントは歴史に隠れています。

 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

 ■オットー・フォン・ビスマルク

 

これまでの人類は、どのような価値の変遷を辿ってきたのか。そして価値の転換はどのように起こってきたのか。その価値はどのように作られていったのか。その「価値の消滅と繁栄の仕組み」を理解することだ何より重要になります。

 

とは言えまず大事なことは、「今もなお、誰もが何かしらの価値を決めている」ということ、そして「その価値を基準に人生を歩んでいく」ということです。だからこそ、「自分の価値をどこに置くのか」がとても重要です。

 

ですから私は、誰か・社会に作られた価値で生きるのではなく、自らが思考し、洞察し、決定した価値を持つ人生こそ、主体性があり価値のある人生だと思っています。

 

ぜひ皆さんも、自分の人生の基準点となる価値を探してみて下さい。

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。