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本質系ゆとり世代のブログです。「15才の時の私」に知ってほしいことを書いてます。

わたし自身のアフターコロナ

昨日このブログで、コロナ現象が起こってか、無意識に自分が感じてきたことを、言語化することが出来ました。そのお陰で、色々と意識化することが出来るようになりました。

 

今回のコロナをキッカケに、それまで自分自身が持っていた問題意識が、より明確化することが出来てきたので、記事にしてみようと思います。これも、日記的な位置づけの記事なると思います。

現代社会が解決すべきこと

生存本能からの開放

これを私は「生存本能」「自己防衛本能」からの開放であると思っています。なぜならば、それら人類に初期設定されている本能の役割は、すでに終えていると感じているためです。逆にその初期設定が、人類の進化を止めてしまっていると感じます。それは今回のコロナでより強く感じました。

 

世界が繋がり、テクノロジーが進化したいま、私たち人類は、狩猟採集時代ほど、本能に従って、生存を守る必要はなくなったように感じます。敵対し合う必要はなくなったように感じます。

 

それ以上に我々は、団結し、信頼し合う必要性を感じます。それは心理的安全性の追求であり、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が言及している「不老不死」への欲求でもあると思います。マズロー氏でいえば、自己超越欲求です。

 

もうすでに役割を終えた、生存本能を突破し、新しい本能・新しい初期設定を装着することこそが、いま、人類に求められていることだと感じます。

 

日本の可能性

そしてその鍵は日本にあると思えてならないのです。これは私が日本人として生まれたフィルターなのか、どうかは正直まだ検証が付いていません。実際、日本に住んでいるのだから、日本の情報が多く入ってくることは当然だからです。

 

しかし人類歴史を振り返っても、人間の生存本能を超え、それを文化文明にまで昇華し、実践行動していた国を、いまのところ私の目には日本しか写っていません。ただ申し訳ないことに、まだ「なぜそう言えるのか」を人に伝達できるところまでいけていないことが実状です。

 

常に主張には根拠が必要ですが、この日本の可能性に関しては、まだ私の頭の中だけにとどまっています。情報のインプットもアウトプットも足りていません。ただし、今回のコロナ現象で、確実に私が日本に確信を持ったことだけは確かです。

 

それを言葉にすれば「相互扶助の精神」となりますし、世界にあふれる「生存本能」「個人主義」「資本主義」によって起こっている多くの問題を見て、感じていることは確かです。

 

日本の「思いやり・気配り」「死の恐怖の超越」「相互信頼」「心の平和」「各種文化の高度さ」などが当てはまります。日本が培ってきたものが、いかに素晴らしいのか、を感じる毎日です。

  

変わるべきこと

大きく2つだと思っています

人間に対する再考

まず何より「人間」というものを、現代社会は捉え直す必要があると感じています。

 

現在の社会・世界は、人間が作ったものですから、当然人間に対する理解の深さが、生きる上でとても重要です。多くの成功者、文化人、偉人の方々は、人間に対する理解度の深さが、そのまま社会的地位や影響力に反映されていると考えています。

 

ですから時代が変わるときは、必ず本質的には人間に対する理解を改めさせられる事象が起こっています。その中で、現代社会は改めて、人間に対して再考しなければならないと感じます。

 

それは、現在の人類が過去の遺物である「生存本能」に縛られていること、そして人間は「それを超えられる」ということ、そして「超えた先の人間像」を明確にすること。この3つであると感じます。

 

これがしっかりと論理体系付けられて、整理され、共有され、一般化した時に、人類は大きな転換を起こすことが出来ると感じます。

 

日本に対する再考

そしてそれは日本に対する再考が鍵を握っていると思います。先述したように、私は日本は恐ろしい文化文明を構築してきた国であると考えています。

 

しかし、現代社会ではそれは一般化されておらず、どちらかというと日本国内は自虐史観的な思想が溢れています。そして近隣諸国を見ても、特に韓国・中国は反日的な思想が中心にあると思います。

 

もちろん自虐史観的な考え方も、反日的な考え方も間違えているわけではないと思います。人間は、どんな現象も、自由に解析をする権利を持っていると思うからです。

 

しかし私は、その解析では、日本にも、アジアにも、世界にも未来はないように感じます。なぜなら日本は、世界的に見ても、唯一、生存本能を超えた、文化を構築した国であると考えているからです。

 

ではどうすればいいのか?

 

私はまず、日本の歴史観を再考する必要性を感じます。そして特に再考すべきは「今の日本は1945-1952年に作られた」ということです。私は、多くの日本人が、その概念がすっぽりと抜け落ちているように思えてなりません。

 

今の日本は1945-1952年に作られた

「今の日本はダメだ」「日本は終わってる」「日本人のこういうところがダメだ」という主張は巷にあふれています。その議論をすること自体はいいと思っています。なぜならその意見を通して、より進化を作ることが出来ると思いからです。

 

しかしそれらの意見の多くは、「批判」にとどまってしまい、「進化」に進むことが難しいと感じています。なぜなら、それらの事象が起こっている「背景」にまで視点が向いていないように思うからです。

 

「なぜ日本がその様になってしまったのか」「そんな日本になっている原因は何なのか」それらに対する言及があまりに疎かになっているように感じます。

 

今の日本はいつ、誰が、どのように作ったのでしょうか?私はそれは「1945-1952年」だと思っています。そして主導したのは「アメリカ」であり、その中身が「IWGP」などを含めた様々な計画になると思っています。

 

私はこに対する議論なくして、もう日本は先に進めなくなってしまっていると感じます。この7年間に目を向けずして、これからの日本を考えることは不可能に感じます。戦争賛美、自虐史観、右翼、左翼、日本肯定、否定・・・それらを超えて、客観的に、その7年間をしっかりと分析・解析し、本当に日本の進むべき道を考えなければならないと思っています。

 

冷静な議論が必要

それに対して、今の日本はあまりに稚拙に感じてしまいます。建設的な議論が全くできていないと感じます。そこに対する情報が、あまりに少ないように感じています。

 

「日本が悪かった・正しかった」「日本が悪いことをした・してない」そういうことではないのです。先述したように、解析は自由です。どのような事象も、いくらでも解析は出来るのです。必要なことは、それら全ての解析を包括する、上昇した観点です。それら全てを超え、未来に必要な、最も有益な観点はどれか、という解析です。

 

それにも関わらず、あまりに今の日本は、そこに対して思考停止し過ぎだと思います。その背景は、その情報に触れることを、共産主義、自由主義、アメリカ、韓国、中国、世界が、とても敏感だからだと思います。1945-1952に行われた施策が、とても強力であったからだと思います。

 

しかしいつまで思考停止していればいいのでしょうか。過去が今を作ります。過去が未来を作ります。空白、思考停止させていては、何も進みません。

 

日本人は自信がない、主張ができない、人に合わせる・・・これらはすべて1945-1952年に対する思考停止から来ていると私は考えています。そしてさらに、1945-1952に作られた自虐史観から来ていると考えています。

 

世界的に見ても、自国の歴史をここまで否定している国はないと思います。あのドイツですら、ドイツという国を否定するのではなくナチスと否定しているだけだと聞きます。この日本の現状を見ていると、呆れて笑うことしか出来ません。なんてお人好しな国民なんだろうか、と。なんと分かりやすい国民なんだろうか、と。

 

ですから私は、この「1945-1952年」に対する、冷静で、オープンで、客観的な議論が活発になることを望みます。そして全国民が、日本に対して、日本人に対して、日本の歴史に対して、今一度再考すること、熟考することを望みます。

 

それが私が、いま、最も、日本の、世界の、未来において、とても重要な鍵となると思っています。

 

まとめ

思った以上に、日本に対する言及が多くなってしまいました。これもきっと、コロナ現象でネット上に溢れる情報を見ながら、無意識的に感じていたことなのだろうと思います。

 

人間に対する再考と、日本に対する再考。

 

これがなにより、これからの人類に、必要なことだと思っています。そしてその現象は、このコロナを通して、きっと世界的に加熱していくと思えてなりません。

 

コロナ現象を通して、多くの人たちが、現在の人生・人類に対して問題意識を募らせたと思います。そしてその方向性は、きっとこの2つに集約されていくと感じます。

 

終わりに

冒頭にも書いたように、完全に自己整理の記事になりましたね。でもお陰で、色々と整理することが出来ました。

 

人間に対して、日本に対して、より議論が活発になっていくことを切に願います。

 

※コロナに関して不安を感じている方は、Noh Jesu氏の情報を参考にしてみて下さい。私自身彼の発信のお陰で色々と整理されまいた。

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