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本質系ゆとり世代のブログです。「15才の時の私」に知ってほしいことを書いてます。

相談相手がいる幸せと人間の美しさ。

人は誰もが人生を歩んでいれば解決が難しい悩みと遭遇します。

 

・人生の方向性

・人との関係性

・将来について

…etc

 

そんな悩みと遭遇した時に、相談する相手がいるということほど幸せなことはありません。

 

とても当たり前のことではありますが、人は一人では生きていけません。なぜなら、生まれながらに未熟を持っており、不完全だからです。

 

まだ動物のほうが自立しています。なぜなら、生まれてすぐに立ち上がり、体の大きさ以外は大人と同じ様な存在となります。しかし、人間は違います。多くの未熟を持って生まれ、沢山の周りの助けをもらって、成長していきます。

 

そして人間は、誰もが独自の価値観・判断基準を持っています。観点とも呼びます。

 

10人10色と呼ばれるように、ひとつの物事を全く同じように捉える人はおらず、自分の見方は自分にしかできません。逆に言えば、別の見方は自分にとって盲点となり、見えなくなります。人生を生きる上で遭遇する悩みの多くは、そんな自分の見方では見えないところに発生しやすくなります。

 

そんな時に助けになるのが、別の誰かの見方です。それが相談相手です。

 

自分が困っている時に話を聞いてくれる。質問してくれる。心配してくれる。叱ってくれる。アドバイスをくれる。違う見方を教えてくれる。

 

そんな人が居てくれるから、今までにはない自分の見方を取り入れることができ、悩みを突破し、より人間として成長することができます。そして次は自分がその相手が思い悩んだ時に、別の見方を見せてあげられる。

 

そんな相手が居ることが、どれほど幸せなことなのか。そしてそんな相手が居ないことで、どれほどの人が苦しんでいるのか。

 

本当にこの世界は良く出来てるな、と思います。人間は不完全だからこそ、完全になれる。人間とは人と人の間、つまり関係性のこと。つまり一人では生きていけないということ。美しすぎるな、と思います。

 

でも、今の社会はそのようになっていませんよね。中心概念が個人主義・競争社会なので、どうしても関係性よりも、個人の幸せ・成功を重視してしまいますよね。それは社会の流れなので仕方のないことだと思います。

 

でもきっと、本来の人間の性質から言えば、個人主義は合ってないんだと思います。その結果が現代社会の多くの解決の道が見えない問題たちだと思うんです。本来、人間という存在は、動植物が生態系という完璧なharmonyを奏でているような、そんな美しい関係性によってその可能性が花開くのではないかと思います。

 

それは聖徳太子が提示した『和』という概念に秘められている気がします。

 

もしあなたが、この個人を強調する個人主義社会で、心の奥底から信頼でき、何でも相談できる方が一人でも居るのであれば、それは本当に幸せなことだと思います。その相手がいずに、苦しんでいる人がほとんどだと思います。

 

ですからぜひ、その関係性を大事にしながら、よりそんな関係性を広げて言ってもらえたらと思います。

 

そして私は、そんな関係性が地球上に広がるような、そんな社会を作っていきたいと思っています。