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本質系ゆとり世代のブログです。「15才の時の私」に知ってほしいことを書いてます。

私の幼少期〜いま〜これから。

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いま思い返せば、私はずっと人間のことを理解できずに苦しんできました。自分というものが理解できずに、相手のことを理解できずに、人間というものを理解できずに。

 

はじまりは家族関係でした。

※18000字位なのでご注意ください。また、バラバラの記事を1つにまとめただけなので、読みにくい箇所があるかもしれません。

私の幼少期。

 私の家は、両親と祖父母があまり仲が良くありませんでした。それは戦後日本の混乱期の影響がとても大きいと思います。父の本当の母親は、父が小さい頃に病気で亡くなり、今の祖母が後妻として、父が6歳の時に冨沢家へ入りました。そこに父の祖父母との関係も相まって、父にとってその後の冨沢家の生活は、とてもとても苦難に満ちたものであったと聞いています。

 

そして父は高校を卒業し、冨沢家を出ました。しかし冨沢家の五人兄妹の中で唯一男であった父は、先祖が培ってきた冨沢家の土地を守っていくことを決意し、母と結婚して私の祖父母が住まう冨沢家へ戻りました。それは相当な決断のもとであったと聞いています。

 

そしてその数年後、姉が生まれ、私が生まれました。

 

当時の私は両親と祖父母が仲が悪いなんて、微塵も思っておりませんでした。ただ、何か不思議な違和感は感じていました。両親と祖父母が仲良く話している風景を見たことはなく、一緒のテーブルで夕食を囲んでも両親と祖父母に会話はなく、食べるおかずも別のものでした。祖父母の部屋はまるで別世界のような、簡単に足を踏み入れてはならない世界のように感じていました。

 

何かある度に両親に

「そんなことするとおじいちゃんに怒られるよ」

「それはおじいちゃんとおばあちゃんが怒るやめなさい」

「それはおじいちゃん達に聞いてみて」

と言われてきました。

 

両親はなんとも思ってないけど、祖父母は怒る。でも私はそこまで祖父母には怒られた記憶はありませんでしたが、いつの間にか私にとって祖父母が得体のしれない存在になってきました。

 

そんな時に私は両親が祖父母に一方的に責められている状況に出くわしてしまいました。はっきりとは覚えていませんが、原因は私であったことは覚えています。そういうシーンを観るのは初めてでした。なぜなら両親の教育方針として「そういう状況は子供に見せたくない」というものがありました。ですのでそういう状況になりそうになると、両親は姉と私を別室へ連れて行っていたそうです。

 

そのシーンを見た私はすごくショックでした。もう二度と味わいたくないほどの罪悪感に苛まれました。

 

「あぁ、実はわたしはこんなにも両親に迷惑をかけていたんだ」

「あぁ、実はわたしはこんなにも両親を苦しめていたんだ」

 

 そんな風に感じたことを覚えています。

 

それまでは何となくでしか、両親と祖父母の関係を感じていませんでした、そこからというもの明確に両親と祖父母と距離を取りました。

 

「私が何かする度に両親と祖父母に迷惑をかけてしまう」

 

その不安感と恐怖心に支配されました。

 

幸いなことに両親と祖父母は私にすごくよくしてくれました。しかし常に私の中にあるのは祖父母に対する得体のしれない恐怖心。祖父母に対して警戒心を抱いている両親でした。

 

「おじいちゃんたちが怒るから」

 

その単語は私の心に植え付けられました。しかし、私には「なぜそんなにも祖父母が怒るのか「何をどのようにしたら祖父母が怒らないのか」は分かりませんでした。そもそも私は両親と祖父母の仲が悪いということも知りませんでしたから、なぜそんな事になってるのかも分かりませんでした。何を両親に聞いたらいいのかも分かりませんでした。唯一、幼稚園に頃に「なんでうちのおじいいちゃんとおばあちゃんは普通と違うの?」と聞いたらしいですが、母親はなんと答えたらいいのか分からなかったそうです。

 

そのような状況で当時の私は、とにかく祖父母を怒らせないためには、両親に迷惑をかけないためには「自分を押し殺す」という手段しか残っていませんでした。自分が祖父母を怒らせる、両親に迷惑を掛ける原因も仕組みも私には分かりませんでした。とにかくそんな恐怖心と罪悪感を抱きながら幼少期を過ごしました。

 

 

私の小学時代。

 そんな幼少期を過ごした私は小学校へ入学しました。ここでも私は、自分を、相手を、人間を理解することが出来ずに苦しみました。

 

私には幼馴染の男の子がいました。今思い返せば、彼のお陰で私はなんとか人との縁が切れずに居るのかもしれません。

 

彼はとても優しい子でした。前回書いたように、私は人に対する恐怖心と罪悪感から、自分の気持ちをとにかく押し殺して生きてきましたから、至る所で様々な問題が発生しました。

 

とにかく相手、つまり人間は私にとって「恐怖の対象」「得体のしれない対象」になっていましたので、「いつ相手が私に危害を加えてくるのだろうか」という恐怖心に常に支配されていました。

 

しかし幼馴染はそんな私にも上手に付き合ってくれました。ですので私は彼のお陰で「友だちと遊ぶ」という行為を覚えることが出来ました。とはいえそのやり方は全ての友人に通じるわけではなかったので、なかなか友人と安心した関係を作ることが出来ませんでした。常に私は誰と一緒にいても「いつ相手が私を不快に思うのだろうか」という恐怖心がありました。ですので人間関係は、観察と緊張の連続でした。

 

友人に対しても、友達の親御さんに関しても、先生に対しても。家で、両親と祖父母を観察するように、全ての人達を出来得る限りの力を振り絞って観察し続けました。もう二度と味わいたくないあの感情を味合わないために。

 

しかしやはりうまくいきません。Aさんは不快に思わない行為も、Bさんは不快に思います。ABCさんは不快に思わなくても、Dさんは不快に思います。またこの前までAさんが不快に思わなかったことも、時間が立つとAさんが不快に思ったりもします。こうしていくと一層、私は多くのことができなくなりました。

 

もちろん生活をする上で問題が起こらないこともあります。運動、勉強、その他学校で決められたルールに従う、先生の言うことを聞く・・・・。しかしそういう行為もどこか一線を越えると必ず相手が不快に思う対象となります。

 

「なぜ人は人に不快感を抱くのか」

「どんな時、どんな条件で人は人に不快感を抱くのか」

「なぜ私はこんなにも人とうまく関係を築くことが出来ないのか」

 

この悩みを解決することは出来ませんでした。相手がとても私に気に入ってくれたとしては、もう根底には「自分は人を不快にさせる存在だ」がありましたので、「いつかきっとこの人も私に不快感を感じて責めてくる」イメージを拭うことが出来ず、深く相手を感じ、関係性を築くことは出来ませんでした。

 

「自分が表現すればするほど、相手は不快感を感じる。それならば自分が感じていることをすべて殺して、相手が望む自分になろう。」

 

これは多分、小学校高学年くらいで自ら導き出した結論だったと思います。

 

これによって「相手を不快にさせない」というゴールから考えたら、もちろん上手く言ったこともあったと思いますが、上手く行かないことも多くありました。その象徴的な出来事は中学校で起きました。

 

 

私の中学時代。

自分を理解できず、相手を理解できず、人間を理解できず苦しんだ私は、小学生の時にある決断をしました。それによってある程度解決した問題もありましたが、多くの問題もおきました。

 

それは大きく2つあります。

 

1つ目は「いじめ」です。これは私が被害者ではなく、加害者側としての話です。私は小学生の時からずっと野球をしておりまして、小学校では地域の少年野球チームに所属していました。

 

私はその野球チームのメンバーがとても大好きで、その中でも特に仲の良い5,6人のメンバーがいました。そのメンバーとは毎週のように遊んだり、お互いの家に遊びに行ったり、お互いが家族ぐるみの仲でした。そして同じ中学校の野球部にはそのメンバーの半分くらいが所属しました。

 

 

そして先輩たちが卒業し、自分たちの代になったあたりに、私は野球部の監督に部室に個別に呼び出されました。なんだろう?と思ったら、監督から「お前、○○のことをいじめてるのか?」と聞かれました。とてもびっくりしましたし、何のことか分かりませんでしたので「やってません」と答えました。そうすると先生は「そうか、分かった。気をつけろよ」とだけ言ってこの会話は終わったと思います。

 

しかし自分の中ではいじめをしている意識は全くありませんでしたが、「やっぱり自分は人に不快感を与えてしまうんだ」という感覚に襲われました。相手が「いじめられた」と認識したのであれば、きっとそれはそうなんだと思います。そして私はそのあとものすごい恐怖心と罪悪感に襲われ続けました。「あぁ、なんてことをしてしまったんだろう」と。

 

そして家に変えると、母親の様子がとても変でした。誰かと電話をしていたのですが、私が帰ってくるのを見るなり、どこか別の部屋に行ってしまいました。それは私にとって初めての経験でしたので、初めては何があったのか分かりませんでした。しかしふっと嫌な予感がしました。「もしかしたら監督に言われたことを母親が誰かから電話で聞いているのではないか」と。

 

予感は的中しました。電話が終わった母親に「話があるんだけど」と話しかけられました。開口一番母親は「○○くんのこといじめているの」と私に聞きました。私は「いじめていない」と答えました。私の意識としてはそうだったからです。むしろ私は彼とは仲良しだと思ってました。しかし母親は続けました「いまね、○○くんのお母さんと電話していたんだけど、あなたが〜をしたり、〜をしたと言っていたよ。それはしたんじゃないの」と聞かれました。私はその内容にびっくりしました。事実は全く別のものでしたし、まさかあの行為がいじめと受け取られているとは思いませんでした。ですので私は一つ一つ「〜はこういうことで、〜はこういうこと・・・・」と説明しました。そうすると母親は納得したようで「分かった。あなたのことを信じるね」と話、その会話は終わりました。

 

その会話の後はもう覚えてないほどの罪悪感に襲われました。私は○○くんを不快にさせていた。○○くんのお母さんまで傷つけた。そして私は自分の母親まで傷つけた。私はこの時、母親が涙を流している姿を見ました。もうどうしようもありませんでした。

 

「やっぱり自分は人を不快にさせる存在なんだ」という考えが強まったと同時に、「やっぱり私は人間を理解することが出来ない」「なぜ、どんな要因で人が不快になるのか理解できない」そのことも強く頭に残り、私は更に人間に対する恐怖心を蓄積していきました。

 

 

そして2つ目の問題は、そのあと少し経って起こりました。これもそこまで大げさでないですが「いじめ」に近いと思います。これは私が加害者ではなく被害者の立場です。

 

私は野球部で主将を務めていました。私の中学校はあまり強くありませんでしたが、私はそのままでは悔しいので、最低でも県大会に進めるような部にしたいと思っていました。ですので部員と共にそれを確認し、今まではとは違った練習をするようになりました。

これが私の大きな間違えでした。もうこのときの私は自分の心・気持ちを押し殺しすぎて、人の心を感じることが出来なくなっていました。

 

当時の部員としっかり話せていないので正確な原因は把握できていませんでした、たぶん私のそのやり方が、部員の心・気持ちをおざなりにしたやり方だったのでしょう。ある日、私が部室の鍵を開けると、私の靴が故意的におかしな場所に置かれていました。そしてその日から、部員たちはまるで私がそこにいないかのような扱いをするようになりました。

 

ただし部長としてやらなければならいことはありますので、その最低限のことだけはやってくれますが、基本的にみんな私の指示は無視して、自分の好きなようにやるようになりました。

 

当時の私は頭が真っ白になって、パニックになりすぎて、正直この当時の正確な記憶はありません。もしかしたらみんな無視していなかったのかもしれないし、靴もただ悪ふざけでやっただけかもしれません。だ確実に、その日を境に一気に部員の態度が変わったことだけはわかりました。

 

ただやっぱり私は「なぜこうなったのか」が全く理解不能でした。ただ直感的に理解したことは「私がみんなを不快にさせた」ということだけでした。「みんなが私を気に入らなかった」ということだけでした。

 

当時の私は頭が真っ白になりすぎて、誰にもこのことを話せませんでした。そもそもこれをなんと伝えたらいいのかも分かりませんでした。誰に伝えたらいいのかも分かりませんでした。そもそも「自分の気持ち」を押し殺して、「周りが求める自分」を繰り返してきましたので、この「自分状況を伝える」という概念もイメージも湧き上がってきませんでした。

 

そんな時に私に出来たことは「ただただ嵐が過ぎ去ることを待つ」ということだけでした。これは幼少期のときと同じです。なぜどんな時に祖父母が怒るのか、どんな時に両親が苦しむのか、それが全く理解できなかった私は、ただただ何もせずに、静かにして、自己表現をせずに、嵐が過ぎ去ることを待つしかありませんでした。

 

そして冬が過ぎ、春が来て、学年が変わった頃にその嵐は過ぎ去りました。未だに思い出せませんが、いつの間にか部員たちと会話をするようになっていました。しかし今までのようにはいきません。私の中には、強烈な人間に対する恐怖心が植え付けられ、「やっぱり自分の主張はしないほうがいいんだ」と自分の中で結論づけましたので、練習内容も全て部員の自由にさせ、彼らの言っていることにただただ笑顔で答えるだけで、飾りだけの主将となりました。

 

この経験によって、私は強固な人間に対する恐怖心を確立することとなりました。そして今まで以上に自分を殺すようになりました。親にも、友達にも、誰にも自己を表現することはなくなり、自分でも自分が何を感じているのかわからなくなり、ただただ人を不快にさせないように生きてきました。

 

どれだけ勉強を頑張っても、どれだけ運動で優秀な成績を残しても、どれだけ先生に褒められたとしても、人間に対する恐怖心、人を不快にさせてしまう自分に対する嫌悪感は拭うことが出来ませんでした。

 

結局私は、小学生の時に「自分を殺して、相手の望む自分になろう」と決めましたが、それでは問題は解決されませんでした。

 

そして私はそんな状態で高校へと進むことになります。

 

 

私の高校時代。

高校時代の私は3年生の終わりにある転機が訪れます。それ以前はそれまでと変わらずに、相変わらず、自分が理解できず、相手が理解できず、人間が理解できずに苦しみました。

 

 

高校に入学した私は、勉強とスポーツに励みました。というよりそれ以外やることがありませんでした。同級生と深い関係を築くことが出来ませんでしたので、勉強やスポートという媒体を通してでしか人と関係性を作れませんでした。

 

そう思うとこんな私と、小学生時代、中学生時代、高校時代と関係を作ってくれた、関係を作ろうとしてくれた人たちには本当に感謝しかないです。きっと多くの不快感、戸惑い、などがあったかと思いますが。

 

そしてあまり中学生時代と変わることなく、高校1年、2年と過ぎ去っていきました。もうこの頃には自分の気持など微塵も感じることはありませんでしたの、家族との交流もほぼありませんでした。

 

しかし転機は3年生の時に訪れます。その転機はクラスメートからもたらされました。こんな性格でしたから、私にそこまで深く関わろうと思う人はいなかったと思いますが、高校3年生の部活の最後の夏の大会が終わり、夏休みも終わった頃友人たちがえらく私を構ってくれました。今までは常に部活三昧の毎日でしたので「やっと私と遊べる」と言わんばかりにすごく近い距離で接してくれました。

 

はじめは私もどうしたらいいのか分かりませんでしたが、少しづつ彼らと一緒に「遊び」はじめました。遊ぶと言っても、昼休みや放課後に、ただただ話をしたり、一緒にバスケをしたり、そんな程度です。彼らからしたらただの日常的なことだったのかもしれませんが、私にとってはとても、とても楽しい毎日でした。

 

彼らはとてもお互いをリスペクトしあっているような、お互いを信頼しあっているような仲だったと思います。なぜか私はその輪の中に入っていました。きっとあれは特殊な環境がそうさせたかもしれません。

 

私の高校はとても大きく全部で15クラスほどありましたが、私のその中でも2クラスしかいない理系のクラスでした。しかもその2クラスのメンバーは2年生の時から変わりませんので、それによって妙な連帯感が生まれていました。しかもその中で理系を選択しているメンバーでしたから、趣味趣向や、考え方など、ある程度似ている者同士が集まっていたのだと思います。

 

この高校を選択し、理系を選択し、さらに2年間ほぼ同じ環境。そしてさらに3年生のときにはコースも選択しますから、より一層似通った人たちが集まっていたのかもしれません。そしてその中でも似通った人たちでグループが出来て、その輪の中に私がいました。はじめはとてもとても不思議な気持ちでした。

 

あれだけ人と距離をとって、人と交わることを避けてきた私でしたが、彼らはとても歓迎をしてくれている様子でした。私はそこで初めて「人と関わる」という作業をしたような気がします。もちろん今までもありましたが、今までとは一線を介した関係生であったと思います。

 

そしてそれから3年生の秋から、高校を卒業するまで、毎日のように、毎晩のように一緒に遊んでいました。一緒にカラオケに行き、年を越し、初詣をして、ゲームをして、免許を取り、バーベキューをし、鍋を囲み、ドライブに行きました。本気で「一生こんな時間が過ごせたらいいのに」と思いました。しかしそうはいきません。

 

私達はまだ高校生です。大学に進まなければなりません。仕事もしなければなりません。みんながこの時間を最高と思っているわけでもありません。それぞれがやりたいこと、進みたい道、好きなこと嫌いなことは異なります。一生こんな時間が続くことは現実としてあり得ません。ですから私はまた次の環境でこんな関係を、こんな毎日を作るしかありません。

 

彼らと過ごしたこの時間は、彼らからしたらほんの些細な日常だったのかもしれませんが、私にとってこの関係性は、本当にかけがえのないものとなったことは確かでした。「これから先もこんな関係を作っていきたい」と思わせてもらえるような毎日でした。

 

そして私は大学へ進みます。

 

 

私の大学時代

これまでの人生は自分が、相手が、人間が理解できずに苦しみ続けた毎日でしたが、高校の友人たちと過ごした時間のお陰で、私は人との関係に希望を抱くことが出来ました。そして私は大学へと入学します。

 

私は大学時代に本当に多くのことを学び、気付き、彷徨いました。まずいちばん大きな出来事としては、大学の友人達との関係模様だと思います。私は高校時代の友人たちと出会う前は、勉強やスポーツなどを通した関係性しか知りませんでしたが、彼らのお陰で人との関係の作り方を学びました。誤解が生まれるので先に伝えておきますが、あくまでも「この時点の私が思う」人との関係の作り方です。この大きな思い違いが後にまた新たな問題を発生させます。

 

私は上記に書いたとおり大学に入ってから、高校時代の友人たちから、自分なりに学び取った人との関係の作り方を実践しました。これは違う表現をすると「不快な思いをされにくい」自分の作り方でもありました。ただ幸か不幸か、この関係の作り方はある程度上手くいきました。

 

あまり大きな大学ではありませんでしたが、多くの人たちと知り合いになれ、多くの人たちと話したり、遊んだり、関係を作ることが出来ました。同じ学科や、同じサークルの仲の良い友人もでき、まさに初めの数カ月は私にとって夢のような時間でした。しかしそれも長くは続きません。お互いがその環境を最も望んでいるわけではありませんので、学業を優先する人、アルバイトに専念する人、恋人を優先する人・・・・少しづつメンバーは散り散りになっていきました。そして私にも大切にしたい女性ができ、その人との時間も大事にするようになりました。

 

しかしというか、やはりというか、問題は起こりました。高校時代の友人たちから学んだ関係の作り方によって、ある程度までは関係を作れるようにりましたが、それ以上の関係を私は、全くと言っていいほど作ることは出来ませんした。

 

相手を喜ばせたり、笑わせたり、楽しませることは多少なりとも出来ました。しかし相手の深い気持ちを汲み取ったり、自分の深い気持ちを表現したり、その深い気持ちで相互疎通したりという「深い人間関係」というものを作ることが全く出来ませんでした。

 

なぜなら、あくまで私が高校時代の友人から学んだのは「こういう自分なら相手に不快感を抱かせない」という方法論でしかなく、その根底にある、幼少期・小学生・中学生時代に積み上げられた人間に対する恐怖心や、そして押し殺した自分の感情というものは全く回復していませんでした。違う表現をすれば私は演技力を身に付けた、ただの道化でしかありませんでした。自分の気持を押し殺していますから、当然人の気持ちなど分かるはずもありません。ですから人との深い関係など到底築くことが出来ませんから、人たちとの距離も遠くなっていきました。大切にしたいと思っていたパートナーを、誰よりも傷つけてしまいました。それでも一緒にいてくれた友人たちも私のことが理解できずに苦労したと思います。

 

私は、また、振り出しに戻ってしまいました。

 

大学2年生の終わりだったと思います。その前からほころびは見えていましたが、必死に見ないふりをしていましたが、やはりごまかすことは出来ませんでした。私は結局、中学校の時から、小学生の時から、小さい頃から、何も変わっていはいませんでした。

 

絶望の淵に立たされました。しかし止まってなどいられません。世界は私の現在地とは関係なく回ります。私はあと2年もしたら社会に出なければなりませんでした。私にとってそれほどの恐怖はありませんでした。学校という守られた世界でさえもこれほどまでボロボロにも関わらず、社会という戦場で、今のままの私が生きていけるとは到底思えませんでした。

 

社会では必然的に人との関係が生じます。勉強やスポーツを通して会話をして成り立たせてきたこれまでの関係で、何とかなる世界とは思えませんでした。大学の初めに通用した演技で何とかなる世界とは思えませんでした。そもそもこの根底にある人間に対する恐怖心を解決しなければ、自分、相手、人間に対する理解がなければ120%生きていくことが出来ないと思いました。こんな状態の自分でそんな世界に進まないとならないということを考えると恐ろしくて仕方ありませんでした。

 

ですから私は必死に、どこかに活路を見出そうとします。アルバイト、就職活動、国際ボランティア、休学、海外渡航、読書、講演会への参加、食生活やライフスタイルの転換など、とにかく自分にできそうなことは片っ端からやってみました。とにかく解決の糸口を見つけたくて。とにかくどこか、新たな希望の光を見つけたくて。どこかにきっと、私が抱える問題を解決してくれる何かがあるんじゃないかと。

 

「なぜこんなにも私は人との関係が作れないのか」

 

経験を蓄積したらいいのか、知識を蓄積したらいいのか、振る舞いを変えたらいいのか、考え方を変えたらいいのか、表情を変えたらいいのか・・・・何を変えたら、私は変わることが出来るのか。どうやったらこの、人間に対する恐怖心を拭うことが出来るのか。どうやったら人間というものを理解できるのか。そして何をどのように変化させれば、人と信頼あふれる、安心あふれる、感動あふれる、愛があふれる関係を作ることが出来るのか。とにかくその変化を得たい一心で毎日を過ごしていました。

 

そんな時でした。今の恩師と出会えたのは。キッカケはたまたま参加した友人が主催する講演会の帰り間際でした。何人かの人と話をした帰り際にある女性と目が合ってご挨拶をさせてもらいました。その時に自分が生命科学を大学で学んでいることを伝えると、「それだったらきっと面白いと思うからぜひ来てみて」とある講演会のチケットを貰いました。日付は確か3日後くらいでしたが、丁度空いていたことと「生命科学部だから面白いってどんな内容なんだろう」という興味本位からその講演会に参加しました。

 

その講演会は今まで参加してきたものとは少し雰囲気が違っていました。男性と女性のトークライブのような形で、男性の方は日本語が少しぎこちなかったため日本人でないような感じでした。女性の方は元アナウンサーの方だったと思います。では何が今までと雰囲気が違ったかと言うとまず話の内容です。それまで私はどちらかというと、ベンチャーや大企業の有名な社長さんや、有名な講演家の方、など普段ニュースや、ネット、就職活動などで目に触れるような話が多かったと思います。しかしその二人が話していることは、まず明らかに話の規模、というか抽象度がとても高かった印象です。

 

例えば今までであれば「世界平和」という言葉一つとっても、それまで聞いてきた話では、それを具現化するとしても何かのテクノロジーや、ショーシャルビジネスなど具体的な「何をやっているのか」というような話が多かったのですが、その二人が話している内容はそれともなにか違う、当時の私では捉えきることの出来ない話でした。正直いまもそこまで話の内容は覚えておらず、会場が暗かったせいか殆どの時間を眠ってしまっていたと思います。しかしとても印象的なことが3つありました。

 

1つ目は登壇している男性の雰囲気です。基本的に私が今まで接してきた社会人の方は「ビジョンに燃えている人」が多かった印象でした。しかしその男性は、なんというか、今まで見てきた誰よりも、一緒に登壇している女性、目の前の人達、つまり人間をとても大事にしている印象を持ちました。これは当時の私にとって、とても不思議でたまらず、捉えることの出来ない出来事でした。一切偉ぶらないと言うか、自分がないというか、なんかもう「相手を大事にしている」とかいうレベルの表現では表しきれない、とにかく不思議で、捉えることの出来な印象を私に与えました。

 

2つ目は前述しましたが話している内容の規模感です。それまでは大学や、就職活動、起業家の方の話を聞くことが多かったので、「どれだけこの事業が可能性があるか」とか「この業界がどれだけ伸び率があるか」とか「貧困問題をどう解決するか」とかそういう話を聞くことが多かったんですが、明らかにこの二人の話している規模は全くそれと一線を介していました。その話も当時の私では捉えることの出来ない領域でしたが、「人類」「歴史上」「宇宙」「変革」とかそういうような単語がよく話されていた印象です。ですので当時は「何かよく分かんないけどこんな領域の話もあるんだな」という感覚だけが残った印象でした。

 

そして3つ目は登壇した男性が話したある内容です。これを彼はある画像をPPTに写して説明してくれたのですが、残念なことに探しても探してもその画像は見つかっておりません。その画像はどんな内容だったかと言うと、少し変わった形をした物体?が宙に浮いており、それに4方から光があたっており、その影が、上に写った影、下に写った影、前に写った影、後ろに写った影、その影が全て違った形をしている画像でした。そして彼はその画像を背にしながら話しました。「この世界には多様な問題が存在していますが、実はその全ての問題の根本にある問題が観点の問題です。この問題を解決しない限り人間は幸せになれません。」と。私はこれを聞いた時にとてもとても驚きました。「私が悩んでいることはまさにこれだ。」と思いました。

 

相手が、自分が、人間が何を考えているのか分からない。全く理解することができない。「そうかそれは観点の問題と呼ぶのか」と、これは当時の私のとても勝手な解析でしたが、驚くほどその説明だけで、自分のこれまでの人生の悩みの全てが整理されたように感じました。「すげぇ」。単純にそう感じました。

 

そして彼はその問題の解決を何より重要視しているとともに、その解決策を体系的に整理しているということに驚きました。「もしかしたら自分はすごい出会いをしてしまったかもしれない」と思いました。

 

これまでも色々な話を聞いて「視点を変えることが大事」とか、「見方を変えることだ」とか、そういう系の話は幾度となく聞いてきましたが、それが全ての問題の根本問題と言っていることと、それを解決することが何より重要、と言っていること、そして何より彼が話している内容は、それまで聞いてきたそれらとは次元の違う内容のように感じました。

 

そして私はチケットを渡してくれた女性がチケットと一緒に渡してくれた名刺に書いてあるメールアドレスに、講演会に参加していたこと、面白かったけど正直わからないことが多くあったこと、そして色々と話を聞かせてほしいということを連絡しました。

 

そして後日、その女性と話をさせてもらえることとなりました。

 

 

私の大学時代2

やはり大学時代は色々ありすぎて長くなってしまったので、2つに分けました。少し長くなりますがもう少々お付き合いください。

 

前回の終わりに書いたように、自分と、相手、そして人間が理解できず、人との関係が作れない自分が、このまま社会に出て生きていけることが想像できず、新たな活路を見出すために必死に模索していた時に、いまの師匠と出会った話でした。そして師匠の講演会が終わった後に、その講演会のチケットを渡してくれた女性を話をする機会をいただきました。

 

その女性と話をさせてもらったのは、渋谷の坂を登ったあたりのカフェでした。初めに私は彼女に、いま自分がどんな状況なのか、どうしたいのか、何を目指しているのか、などの話をしました。それに対して彼女は今まであったどんな人より話を聞いてくれました。それ自体も私はどう捉えたらいいのか分からず戸惑いました。そもそも自分を表現することを殺してきた私ですから、正直その時に話をした内容も道化を演じた自分を表現していたと思います。しかし彼女はそんな道化の自分ではなく、その奥にある私を捉えようとしているような気がしました。ですから少し居心地が悪かったことも覚えています。

 

そして一通り話を聞くと彼女はそれら全てを受け止めて、「なるほど。亮太くんは〜〜をしたい人なんだね」と一言。私は初めそれが何を指しているのかよく分かりませんでした。今まで会ってきた人たちとは全く別角度からの一言に「?」という感じでした。それを察したのか彼女は、白紙を取り出して、それがどういうことなのかをとても丁寧に説明してくれました。私はその整理にとても納得して、自分が全く言語化出来なかった領域を、とてもわかり易く整理してくれたことがわかりました。

 

それから彼女は続けます。「講演会で話された内容がどういうことであったのか」「観点の問題とは何のことなのか」「観点の問題を解決するとはどういうことなのか」「それを通して何をしようとしているのか」・・・など。私が知りたい内容を色々と話してくれました。しかしそれでも私は捉えきることが出来ませんでした。今まで聞いたこともない領域の、いわゆる抽象度が高く、本質的な世界の話が多く盛り込まれていました。

 

正直に当時の私が受け取った印象としては「とても理にかなっているし、彼女が言ってる世界が全て本当であればものすごい話だけど、もしかしたらこれが宗教や洗脳という類のものなのかもしれない。でも講演会で話した男性も、目の前のこの人もとてもそういう人とは思えないし、言っていることもとても理にかなっている。現時点では彼らが言っていることの真偽を判断することは出来ないから、まずは彼らの言っていることを深めることが大事かもしれない」というものでした。

 

私はそれまでおそらく至極普通の人生を歩み、至極普通の経験、知識しかありませんでしたから、そういった本質的な世界、つまり日本社会がタブー視しているような世界に触れたことも、関わったことも、知ろうとしたことも全くありませんでした。ですからやっと解決の糸口を見つけたかもしれないという好奇心50%、もしかしたら何かあまり関わらないほうがいいものなのかもしれないという恐怖心50%くらいの感覚でした。ですので彼女にも「これが宗教というものなのかもしれないけど、そうではないような気もする」と返答をして、その日は解散しました。そして私はその講演会と、彼女との時間で感じた、捉えきれない何かを抱きながら日常へ戻りました。

 

そして私には、彼らの話をもっと聞きたくなる別の理由がありました。それはある尊敬する人からの一言でした。その人は「本を読むときに、その本の内容が自分の知ってること・理解できることだったら全く意味がないからな。多くの人は"あー知ってる知ってる、理解できる"って満足してしまうんだ。でもそれは"自分の知識の再確認"でしかなくて、本当に成長するために重要なの"は自分が知らないこと・理解できないこと"にあるんだ。だから実は、本を読んで"全く理解できない"事がある時に自分が成長するすごいチャンスだし、その本は自分が読むことにすごく意味がある本なんだ」という言葉でした。ですから私は余計彼らの話している内容に「自分が理解すべき何か」があるのではないかと期待していました。

 

それから私は彼女から、講演会やイベント、セミナーの情報を教えてもらい、スケジュールが会うところには必ず参加するようにしてみました。そしてその内容を学んでいる人たち、関わっている人たちにも色々と話をさせて貰う機会が増えました。彼女にもその後何度かお茶をさせてもらいました。

 

私はそれらを聞けば聞くほど、講演会の時の男性が言っていた内容や、彼女が話していた内容が、とても整合性があり、とても理にかなっていることが分かっていきました。それまでの私は、抽象的な話、本質的な話をそもそも捉えることが出来ませんでしたが、その後はそういう情報も取り入れるようにしていましたので、そもそも私もその領域を捉えられるようになっていました。そして彼らが扱っている題材が、大学の授業とも重なるところがあったりして、より理解が進んだと思います。そして私は渋谷のカフェで話をしたときの、恐怖心50%がどんどんと減少していき、「やっぱりこれが自分の変化に必要なのかもしれない」という気持ちがどんどんと大きくなっていきました。

 

そんな時に講演会で登壇した男性が言っていた「観点の問題」を解決するための長期間の新しいプログラムが始まったという話を聞きました。当時の私は別の3日間のセミナーを受講するために資金の準備やスケジュールの調整をしていましたが、どうせお金と時間を投資するのであれば確実に自分のものにしたいと思っていましたので、その長期間のプログラムを受講することにしました。幸いなことに私は、それまでの貯金が残っていたことと、両親からの承諾も得ることが出来ましたので、そのプログラムを受講することが出来ました。

 

プログラムを受講する前には、講演会で登壇していたその教育の開発者である、現在では私の師匠に当たる方とも1:1で話をさせてもらい心の準備もさせてもらいました。初めの印象もそうですし、その後の彼の立ち振舞い、この1:1で話をさせてもらったときも、相変わらず彼の捉えられなさは変わりませんでした。こんなにも全体を捉えながらも、相手が全ててであるような、自分が全くないような人は、やはり後にも先にも彼だけでした。こんな人になりたい、思いました。

 

そして1ヶ月半のプログラムが始まりました。私はちょうど休学中でしたので、スケジュールは問題はありませんでした。ただ実際にはその後期間を延長して教授や周りの人達には色々とご迷惑をおかけしました。

 

そしてプログラムは、私の人生の中でもっとも充実し、幸福感のあふれる時間でした。もちろんプログラムの内容も素晴らしかったのですが、そのプログラムを共有した人たちとの交流は感動の連続でした。これまで全くと言っていいほど人との交流が上手く行かなかった私ですが、そのプログラムのお陰で「なぜ私がその様になってしまっていたのか」「どのようにすれば解決することが出来るのか」ということが、「自分とつながった、人間共通の仕組み」として共有してもらえましたので、今まで感じることのできなかった世界や、解決できなかった問題、理解することが出来なかったことなどたくさんの変化が作られました。

 

そしてその内容を共有した同期たちとその内容を日常に落とし込んで、活用することで、今まででは考えられないような関係性を作られ始めていることが自分でもとても良くわかりました。「あぁ、そういうことだったのか」そんな気付きの毎日でした。そしてプログラムを終え、私はその内容を自分の頭にインストールして、日常へと戻りました。

 

 

私の大学時代3〜今〜これから。

すいません、大学時代が3つに分かれてしまいました。これで大学時代は終わらせようと思ってます。前回までで、自分と、相手、人間に対する理解に苦しみ、人との関係がうまく作れなかった私が、ある方と、ある教育と、そしてその同期たちと出会って、とても有意義な時間を過ごし、日常に戻るところまでお話しました。

 

そしてその後は、大学へ戻り卒業に向けて卒論を書いていました。受講したプログラムの方は、それをより日常で活用できるようなサポートや、それを使って自分でも事業が出来るようなサポートや研修も受けさせていただきました。そしてその内容をひとつひとつ自分自身の生活に落とし込んで、よりその内容が理解できるようになっていきました。

 

そして実は、私はこの内容を理解した当初「こんな悩みを持っているのは自分くらいなものだ」と無意識で思っていました。というのもこういう悩みを友人や、家族の誰からも聞いたことがありませんでしたし、テレビや本でも書いてなかったかと思います。私はこの内容を学ぶ前にも、自分を変化させたく色々なことをやってきましたが、多分他の人たちはそれで解決している思ってました。自分があまりにも性格がおかしかったり、才能がないから、ここまでしないと変化できないんだ、と思っていました。ですからこの内容が誰もに必要とは頭では思いながらも、そんなに必要としている人はいないかもしれないと無意識では思っていました。

 

ですがそれから色々な人の話を聞いたりすると、本人は無自覚であったとしも実はそういった悩みを持っていることが分かっていきました。実はとても自分に自信がなかったり、なんでこんなに自分を理解してもらえないんだろうと悩んだり、自分の友人の悩みを解決してあげたいけど解決してあげられなかったり・・・ 。しかし本人もそんな悩みが解決されると思っていなかったり、自分の性格のせいにしたりして、そもそも解決しようと思ってなかったり、ましてや人に話そうとも思っていなかったということが分かっていきました。

 

そして少しづつ、私が理解している範囲で、教えてもらった人間の仕組みや構造、人間関係のことなどを共有するとすごく感動してくれ、とても感謝してもらえました。私は、まさか自分なんかがこの領域で人の役に立てると思ってもみませんでしたから、とても驚きました。とても不思議な気持ちでした。もし自分と同じように悩んで苦しんでいる人たちが他にもいるのであれば何かそこから抜け出すサポートをしていきたいと思うようになりました。

 

そして私は大学を卒業して一般企業に務めるのではなく、個人としてそれを仕事にしていこうと決めました。とはいえ今まで普通のアルバイトしかしたことはありませんでしたので、簡単なことではありませんでした。思ったとおり初めから上手くいくわけではなく、アルバイトをしたり、知り合いの方から仕事をもらったりして、何とかギリギリ食いつないでいた感じで、まさに貧乏生活まっしぐらでした。

 

しかし心は、とても充実した毎日でした。人生で初めて、一歩一歩、着実に前に進めている実感がありました。この道の先に開かれた未来があることが嬉しくて仕方がありませんでした。このことを知らないで生きていた、このことを解決しないで就職していた未来に比べたら、なんてことはありませんでした。

 

私は、私が師匠に救われたように、多くの人たちを救っていきたいと思っています。世の中に多く出回っている情報で問題が解決する人もいるかもしれません。そもそも解決する必要もないと思っている人もいるかもしれません。

 

多くの悩みは「お金」「健康」「人間関係」と言われています。もしその中で人間関係に対する悩みだけでも一切なくなったら、生きることがとても楽になると思います。もっともっと人と深い関係が作れたら、もっともっと人と信頼あふれる関係が作れたら、もっともっと人と安心のある関係が作れたら。家族と、友人と、上司と、部下と、仲間と、見ず知らずの人と。きっと大きく人生が変わると思います。

 

このことを理解してから、多くの問題の根底に人と人との関係性が影響していることを感じるようになりました。国家間の問題、政府と国民の問題、経済の問題、環境問題、貧困問題、犯罪、社会問題、人権問題・・・「人間の全ての悩みは対人関係である」とまで、アルフレッド・アドラーさんが言い切られたことも、少しづつ納得できるようになりました。

 

ですから私はこの師匠に教わった内容を活用して、多くの人の人生から、苦しみを取り除いていきたいと思っています。私と同じように、そこから抜け出せずに困っている人たちに、そっと手を差し出してあげられるようになりたいと思っています。

 

そしてもし可能であるならば、この内容を共有した人たちと、安心が溢れ、幸せで幸せでたまらない共同体を作っていきたいと思っています。そしてそれがもっともっと広がっていって、人類全体がひとつの共同体になれるような、社会全体から、誤解や、偏見、差別、責め合い、孤独、悲しみ、怒りが溢れる関係性がなくなるような、そんな社会を作っていきたいと思っています。そんな背景や思いを持って、今の生き方をしております。

 

正直まだまだ未熟だらけですし、見ようと思ったら至らないところしか見えません。しかし私は、20歳の時に願った10年後になれていることには大きな誇りを持てています。自分のことも、相手のことも、人間のことが全く理解できず、ただただ人間に怯え、社会に怯えていた私。何をしても、どこにいっても全く自分が楽しそうに生きている未来が想像できませんでした。

 

でも願いだけは持っていました。「もし目の前に困っている人がいたら、その悩みを解決してあげられる自分になりたい」。それだけは強く心に抱いていました。

 

私はこの教育と出会ったお陰で、その力だけは磨かせてもらえたたと思っています。もちろんまだまだ解決できない問題もあると思います。でも確実に、自分と同じような悩み・痛み・苦しみを抱えている人を、そこから救い出すことは出来るようになりました。そしてこれからは、もっともっと多くの人の悩みを解決して、次の10年後は、「誰もが抱える悩みを解決できる自分になりたい」と思っています。そしてその10年後には、「誰もがみんなの悩みを解決できるようにできる自分」になりたいと思っています。ちょっと日本語複雑ですね(笑)。そのためにはもっともっと勉強して、もっともっと鍛錬しなとならないですね。

 

少し長くなってしまいましたが、これが私の幼少期から、いま、そしてこれからの話になります。ここで初めて共有した内容もありますし、この文章を書くことで自分でも初めて意識化されたこともありました。皆さんに共有しておきたい思いと、2020年、30歳を手前に、自分のこれまでとこれからを自分の中でも整理しておきたい思いがあり大変長くなりましたが書かせていただきました。

 

これからはより、悩みを抱えた多くの人に見つけてもらえるように。オンラインでの活動も増やしていけたらと思っていますので、どうぞ今後とも宜しくおねがいします。